タグ:東京都/国分寺市 ( 7 ) タグの人気記事

平安神社

◎神 社 名 :平安神社

◎住  所:〒185-0022 国分寺市東元町1-29-20

◎調査月日:2017平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

東元町一丁目、元町通りから150m程北側に進んだ場所に位置する。社殿は市道に東面し、敷地東南に面して開き、鳥居、狛犬等を配する。敷地北東が公園、北西に社務所が建ち、参道の突き当たりに拝殿を始めとする社殿が鎮座している。

当社は従来、嘉永1849)年の創建とされていたが、今回の調査で嘉永元(1848)年における社殿の造営は再建であることが棟札の記載から明らかになったため、これ以前に創建が溯ることが明らかとなった。かつて本社は白山宮、白山神社と呼称してたが、昭和21(1946)年に至り現称の平安神社へと改称したことも今回の調査で明らかとなった。なお、言伝えによると当社は一時期、本村の八幡神社へ合祀され、後に分祀されたとしている(『国分寺市の神社・寺院』)。社殿は三間社の本殿と、拝殿と本殿覆殿が一体となった橦木形の半面を持つ拝殿からなる。

(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


◎祭神など:

菊理媛命


◎空間位置・面積等・植生など:

住宅地の中のあり、樹木も立木のみの社叢とは言いがたい典型的な都会の神社である。「国分寺崖線」ともはずれてはいるが,北側には「野川」が流れており、かっては野川の流水と関係していたかもしれない。立木の樹種としては「カヤ」の大径木が多異のが特徴だろう。

 ▼樹木配置図

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▼地図(平安神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

・カヤ/キンモクセイ/モミジ/イチョウ/

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by shasou373 | 2017-10-08 00:06 | ■ 関東地域

真姿の池弁財天

◎神 社 名 :真姿の池弁財天(ますがたのいけ・べんざいてん)

◎住  所:〒185-0023 国分寺市西元町1-13

◎調査月日:2017平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

真姿弁財天社は武蔵国分寺の旧境内地にあたり、環境省(庁)の名水百選、都名湧水57選に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」に隣接して建つ祠で、弁財天を安置している。池にまつわる伝説は国分寺の医王山縁起に嘉祥元(848)年における玉造小町のものが伝承されている。社殿は『新編武蔵風土記稿』にも記載され、弁財天開帳の記録は安政5(1858)年の記録が残り、明治14(1881)年には芝居興行も開帳に併せて行われ(『国分寺史料集Ⅲ』)、社殿内には弘化1845)年と安政年の銘を持つ鰐口が現存している。

社殿は池の中島に築かれ東面している。建物は切妻切妻入、東入の形式で、規模は尺四方の本屋前に向拝として奥行尺の吹放を設けている。基壇は周囲に葛石を廻し、土間はコンクリート叩き、自然石切石礎石とている。軸部は木製台上に角柱を建て、正面虹梁(渦紋に若葉、玉)で固め、桁・梁を受け、組物、中備はなく、軒は一軒疎垂木妻飾は束。縁、高欄はない。向拝は切石に角柱(几帳面)を建て、身舎内法虹梁下端と向拝水引虹梁(木鼻獅子、渦紋に若葉、玉)をつなぎ虹梁で結び、三斗組、中備(龍の彫刻)としている。床は拭板張、天井は棹縁天井、柱間装置は側面及び背面は横板張、正面は腰付格子戸としている。内部奥に壇を設けこの上に厨子を安置します。材は軸組、組物などケヤキで、組物で弁柄が入っている。

現在の建物は昭和521977)年に旧来の建物規模を踏襲し、彫刻を持つ部材を用いて再建したとされ、転用された部材は彫刻絵様から幕末期、19世紀中期頃のものと推察される。小規模な建物ではあるが、時代の傾向をよく示す彫刻を配している。

(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


◎祭神など:

弁財天


◎空間位置・面積等・植生など:

環境省の「名水百選」という環境の中にある。

「国分寺崖線」上の湧水の場所で非常に自然環境が守られているので特に調査はせず見学のみとした。


 ▼樹木配置図 :実施記録せず

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 ▼地図(真姿の池弁財天へのアクセス)


【参考資料(リンク)wikipedia】

弁財天


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by shasou373 | 2017-10-08 00:05 | ■ 関東地域

八幡神社

◎神 社 名 :八幡神社(旧村社)

◎住  所:〒185-0023 国分寺市西元町1-13-23

◎調査月日:2017平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

国分寺薬師堂南西の国分寺崖線上に境内を構える。

境内は南面し、崖線下に階段及び鳥居を設け、崖上に狛犬、鳥居、東傍らに末社、参道突きあたりに拝殿、幣殿、本殿、本殿覆殿が建ち、その東側に氏子会館が置かれ、祭神は応神天皇。

八幡神社の由来は明らかではないが、幕末期の御用留には、既に元和(1615~1624)年中、除地反歩と記されている。明治121879)年の「神社明細帳」(東京都公文書館所蔵)では当時の社殿を享保1720)年に新造したとの伝承があるが、後述のように現在の本殿は19世紀前期頃の建築と考えられる。また、明治41(1908)12月に本殿、拝殿を新築したとの記録が残るが(『北多摩神社誌』)、拝殿、本殿覆殿は彫刻絵様が明治時代後期の傾向を示すことから、これは拝殿、本殿覆殿の新築を示すものと考えられる。また昭和381963)月に覆殿の改修があり、この際、幣殿の建築が行われた。

「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


◎祭神など:

誉田別尊(応神天皇)


◎空間位置・面積等・植生など:

「国分寺崖線」上にあり、隣接の国分寺薬師堂と一体の斜面林をなしている。シラカシやシデ類の大径木で形成されている林で自然度は高いと思われる。参道沿いにソメイヨシノが植栽されているが古木になりつつある。

 社殿のある面には植栽と思われるヒノキやケヤキも多いが、コナラ、シラカシなどもなども生育しており混在している。社殿の背後は児童公園化しており,社叢としては成立していない。崖線上の樹林帯が斜面林として残されているのは特筆すべきであろう。


▼樹木配置図

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▼地図(八幡神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

シラカシコナラヒノキサクラケヤキイヌシデイチョウ

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誉田別尊(応神天皇)

神社明細帳


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by shasou373 | 2017-10-08 00:04 | ■ 関東地域

坂本稲荷神社

◎神 社 名 :坂本稲荷神社

◎住  所:〒185-0013 国分寺市西恋ヶ窪1-40

◎調査月日:2017(平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

この辺りには縄文時代から住居があったとされ、竪穴式住居などの住居跡も多数発見されている。坂本稲荷神社の創建は、江戸時代の中期である寛政5年。旧恋ヶ窪村の名主や組頭を務めた坂本家により、五穀豊穣、家内安全を祈願して稲荷社が祀られたのが始まりとのこと。

石造りの鳥居は戦後に牛込から移築されたもので、社殿は昭和43年に創建されたものである。

ブログ:「神社と御朱印を巡る男の旅」より


◎祭神など:

・宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)


◎空間位置・面積等・植生など:

東向きの斜面上に建立されている比較的小さな神社である。

樹木はすべて植栽によるものと推定されるが、社殿背後にアカマツと思われる大径木の切り株が残っている。その背後は駐車場となっていて社叢伐採が推測される。


▼樹木配置図

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▼地図(坂本稲荷神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ヒノキツバキソメイヨシノクスノキツゲスギマツ

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宇迦之御魂神


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by shasou373 | 2017-10-08 00:03 | ■ 関東地域

熊野神社

◎神 社 名 :熊野神社(旧村社)

◎住  所:〒185-0013 国分寺市西恋ヶ窪1-27-17

◎調査月日:2017(平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

熊野神社は府中街道と熊野神社通の交差点である「西恋ケ窪三丁目」交差点を東へ100m程進んだ旧鎌倉街道とされる道路に西面して鎮座する。敷地北西隅は道路の拡幅により斜に削ぎ落され、敷地西面に幟台、石階段等を構える。敷石が真直ぐ社殿に向かい、南に社殿、神楽殿があり、北側に手水舎、太鼓庫及び境内末社の八雲神社、八幡神社、古峯神社が鎮座している。

当社は旧鎌倉街道とされる道路に西面し、社伝では新田義貞の兵火で焼失して応永(1394~1427)年間に社殿再建、天正18(1590)年兵火により再度焼失し、慶長2(1597)年に社殿が再建再勧請され、延宝6(1678)年の検地では1反3畝1歩とされている(「神社明細帳」東京都公文書館所蔵)。

以後も、社殿は明治10(1877)年の暴風で倒れ、大正12(1923)年の関東大震災では大破、加えて昭和20(1945)年の爆撃により大破し、昭和41(1966)年に社殿を改築したとされる(『北多摩神社誌』)。「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より


◎祭神など:

・伊弉諾尊(イザナギノミコト)

・伊弉冊尊(イザナミノミコト)

・八百萬神(ヤオヨロズノカミ)


◎空間位置・面積等・植生など:

西に開けた傾斜地に有り、北側道路沿いに樹木が多く見られる。

東側には野川の水源地がある。植生としてはケヤキが多く見られるが、様子から見て植栽と思われる。

神楽殿、社務所側には樹木はなく、神木の設定も特になしていないようだ。


 ▼樹木配置図

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▼地図(熊野神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキモミジ(カエデ)トウネズミモチシラカシスギ

エノキサクラソメイヨシノシダレザクラモミジバフウケヤキ

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伊弉諾尊(イザナギ)

伊弉冊尊(イザナミ)

八百萬神(神道をご覧下さい)



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by shasou373 | 2017-10-08 00:02 | ■ 関東地域

本町八幡神社

◎神 社 名 :本町八幡神社

◎住  所:〒185-0012 国分寺市本町4-22-15

◎調査月日:2017平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

本町八幡神社は、西武鉄道多摩湖線西際に配される神社で、線路際の市道に東面して参道を開き、突き当たりに旧本殿、拝殿跡、境内北辺に仮本殿、穀豊稲荷神社、御輿庫、子育弁天社、南辺は本町三・四児童公園として遊具等が整備されている。

この神社の来歴は昭和8(1933)年頃、現在地から200メートル程東方の本町三丁目に西元町の八幡神社を分祀したことに始まり、昭和261951)年になって現在地へ移転された。また、穀豊稲荷社は昭和231948)年、今村邸から寄贈を受けたものとされ、子育弁財天社は昭和481973)年、西武自動車車庫付近にあった和地邸宅にあった弁財天の寄贈を受けたものとされている。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)

昭和261951)年3月28日、規承第一四八号により神社本庁統理の承認を受け、国分寺市国分寺一六二四番地鎮座八幡神社の祭神八幡神社の祭神分祀を得鎮祭した。(北多摩神社誌より)


◎祭神など:

応神天皇


◎空間位置・面積等・植生など:

境内は広いが、社殿の周りには樹木があまりない。しかし、瑞垣に沿って大径木の樹木が多い。イチョウ、ソメイヨシノ、ケヤキなどを主体としているが戦後の移転とともに植栽されたと思われる。シラカシは自然植生かもしれない。また、若木や幼樹は、境内の清掃が過度にされているので全くないのが気にかかる。


 ▼樹木配置図

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▼地図(本町八幡神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキカヤイチョウサクラスダジイ

シラカシサカキソメイヨシノ

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応神天皇


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by shasou373 | 2017-10-08 00:01 | ■ 関東地域

◎神 社 名 :本多八幡神社(本多新田鎮守)

◎住  所:〒185-0011 国分寺市本多4-3-3

◎調査月日:2017(平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

享保9年本多新田が開発されたとき、此の里の鎮守として、同19年祥応寺の恢門道頂和尚と当時の里人16名によって山城の国男山八幡神社を勧請。

翌元文元年9月15日創建せられたものと伝えられる。祭祀は別当職祥応寺により司祭されたが明治維新神仏分離令により現宮司の祖星野神職の家に継がれ尊崇益々厚く栄え今日に至る。その間明治18年に不慮の出火で社殿焼失その後約10年の歳月をかけて再建されたが既に老朽化したので昭和50年2月氏子崇敬者千百余戸の浄財により建坪23.4坪鉄筋コンクリート、八幡造りにて竣工した。(北多摩神社誌より)

八幡神社は祥応寺の西隣に位置する神社である。境内は連雀通に面して南面し、鳥居を潜り正面に拝殿、本殿等の社殿があり、東側に水盤舎、社務所、西側に山車庫、神輿庫等が配されいる。当社は享保年間の新田開発後、元文元(1736)年の勧請とされ、これは親村(国分寺村)の八幡神社を模したとも、祥応寺和尚が協力し山城国の男山八幡を勧請したともされている。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


◎祭神など:

誉田別尊(応神天皇)


◎空間位置・面積等・植生など:

境内は広いが社殿の後ろが児童公園になっている。シラカシを中心とした植生で児童公園あたりにも生育している。また、かなりの大径であったシラカシと思われる切り株も2つあり、かっては社叢として成立していたのであろう。ケヤキの植栽なども多いが,関東地方平野部に見られるシラカシとケヤキの樹林帯があったのであろうと推測される。幼樹などは見当たらないので更新は植栽に頼らざるを得ないと思われる。


 ▼樹木配置図

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▼地図(本多八幡神社へのアクセス)




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by shasou373 | 2017-10-08 00:01 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


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