タグ:東京都/世田谷区 ( 10 ) タグの人気記事

尾山台宇佐神社

◎神 社 名 尾山台宇佐神社

◎住  所〒158-0086 世田谷区尾山台2-11-3

◎調査月日:2018(平成30)年2月3日(土)

◎由来など:

例祭は923日、境内末社として稲荷神社(倉稲魂命)御嶽神社(大己貴命・日本武之命・少名彦名之命)を祀る。村内に散在したものを明治年間に合祀したものである。神殿には狐塚から発掘した刀・土器片などを奉納してあるという。

「新編武蔵風土記稿」によると、「除地二段、村ノ中央一字根通リノ内ニアリ、社九尺ニ二間、南向、中二又宮作リノ社アリ、前二鳥居ヲタツ、両柱ノ間七尺、元禄十二年ノ夏、七世精蓮社進誉貞悦ノ時再造セントミエテ、ソノ時ノ棟札アリ、祭礼九月二十三日二行フ、伝乗寺持ナリ、注連引松二株アリ、向ヒテ鳥居ノ右ニアリ、囲尺一丈六七尺モ有ベシ、末社稲荷社向テ右ニアリ、上屋一間ニ一間半、神明社末社ヨリ東北ノ角ノ山ニアリ、南向ナリ」とある。

「新編武蔵風土記稿」に、大塚・字堂ノ上ニアリ、事跡ツマビラカナラズ」とあるものであろう。かつてこれを開墾した際、埴輪・土偶・刀剣の類を出したという。前方後円墳であろうという。(せたがや社寺と史跡より)


◎祭神など:

応神天皇


◎空間位置・面積等・植生など:

台地の南斜面に位置しており、本殿は手狭なためより高い斜面に移遷したと神職の方に聞いた。スダジイを主体とした杜で有り、背景の高み「八幡塚古墳」に続いている。西側にはイヌシデの大径木も何本か有る。立ち入り禁止になっている八幡塚古墳に神職に方の許可を得て登ると、シラカシの巨木の下に石の祠が祀 られていた。あたりはスダジイの大径木が林立してはいるが東側と北側は宅地造成されて浸食されている。


▼樹木配置図

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八幡塚古墳


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▼地図(尾山台宇佐神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

スダジイシイイヌシデマテバシイカヤモッコク

ヒサカキシラカシクスノキ

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応神天皇


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by shasou373 | 2018-02-03 00:04 | ■ 関東地域

野毛六所神社

◎神 社 名野毛六所神社

◎住   所〒158-0092 世田谷区野毛2-14-2

◎調査月日:2018(平成30)年2月3日(土)


◎由来など:

六所神社は元和年間(1615〜1623)遷座と伝え、古くより上下野毛両部落の鎮守で、上下野毛境にあった。

祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊で、例祭は926日である。

明治31年に村内の末社天祖神社、山際神社、日枝神社、北野神社の4社合祀となり、新たにその祭神天照大神、大山都見之命、大山咋之命、菅原道真を現在地に奉斎した、ただし、合祀社は明治23年に天祖神社に合祀したものを、さらに六所神社に合祀したのである。

「新編武蔵風土記稿」によると、「除地一段五畝、(中略)上屋九尺二間、本社六尺に八尺西向なり」とある。この社は昔洪水のとき、府中の方から流れてきたというので、土地の人は六所明神と崇めて社を草創したという。鳥居も西向きに立て、別当は善養寺であった。


◎祭神など:

伊弉諾尊(イザナギノミコト)

伊弉冉尊(イザナミノミコト)


◎空間位置・面積等・植生など:

台地の末端に位置しており、展望が良い。社殿は南向きである。境内には多摩川水神社も祀られている。鳥居周辺は斜面林を構成している自然林と思われ、保存樹木地に指定されている。クロマツの大径木が多く有り、かっての海岸に近い過去を思わせる。モチノキやケヤキ、シラカシなども生育している。社殿の方は樹木にもクロマツがあるが、植栽と思われるヒノキもあり疎林程度である。


▼樹木配置図

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▼地図(野毛六所神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ヒノキクロマツイロハモミジサカキサルスベリイチョウ

アカマツケヤキソメイヨシノカヤクスノキシロダモ

モチノキキンモクセイイヌマキ

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伊弉諾尊

伊弉冉尊



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by shasou373 | 2018-02-03 00:03 | ■ 関東地域

上野毛稲荷神社

◎神 社 名上野毛稲荷神社

◎住   所〒158-0093 世田谷区上野毛3-22-2

◎調査月日:2018(平成30)年2月3日(土)


◎由来など:

通称お稲荷さんとよばれ、玉川の台地末端の稲荷坂の途中にある。

穀物や農業一般をつかさどる神としてまた上野毛の鎮守の神として古くから尊崇されている。

「新編武蔵風土記稿」に「稲荷社除地一畝歩、字橋際の上にあり、上屋二間に九尺、東向なり。中に三尺四方の祠あり由緒不詳と言えども上野毛村の氏神なり」とある。

例大祭は1010日、上野毛周辺地区よりの参詣客が集まり賑わう。

なお、鳥居左側に「菅公一千年祭再建、北野神社」の石碑があり、明治35425日氏子総代によって建てられたものである。(せたがや社寺と史跡より)


◎祭神など:

倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)


◎空間位置・面積等・植生など:

二子玉川公園から遠望すると國分寺崖線がみえ、その中腹に鎮座している。崖線下には丸子川が流れている。斜面を整地してあり、南面は斜面林が茂っている中でタブノキの大径木が区の樹木百選に指定されている。

また、社殿右手には神木のアカガシの大木が有る。これも百選に指定されている。社殿背景にはムクノキ、ケヤキ、シラカシ、アカガシなどで構成されている樹林が有り、北斜面にはアカガシやケヤキ、イヌシデを中心とした疎林をなしている。


▼樹木配置図

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▼地図(上野毛稲荷神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

アカガシムクノキシラカシケヤキタブノキヒノキ

アカマツスダジイアキニレシロダモイヌシデモッコク

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倉稲魂神



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by shasou373 | 2018-02-03 00:02 | ■ 関東地域

多摩諏訪神社

◎神 社 名玉川諏訪神社(たまがわ すわじんじゃ)

◎住   所〒158-0094 世田谷区玉川3-26-5

◎調査月日:2018(平成30)年2月3日(土)


◎由来など:

神体は木彫に金箔、濃彩の座像とのみいい伝えられる。

創立の年月を伝えず。一説に世田谷吉良家の家臣でこの地の開拓者なる者(川辺氏起立の大先祖寛永9年1632年7月法名教顕院誓誉浄本居士)ある年の夏多摩川大洪水の時、現在地に流れ着いた像を後に至り神体とし、信州の諏訪明神をあがめ勧請したものとのみ伝承されている。この像多摩川上流より流れ着いたので、元の地の方位に向って神祠を西向に建てて祀ったといわれている。

現在吉沢に後裔64家栄えており、元は同族の鎮守であった。祭礼は7月27日である。(せたがや社寺と史跡より)


◎祭神など:

建御名方命(タケミナカタノミコト)


◎空間位置・面積等・植生など:

高速道路などの高架線そばにあり、建物の上に鎮座しているのは洪水対策と思われる。

イチョウやカヤの大径木も有り、区の保存樹木に3本が指定されている。しかし、敷地も狭く駐車場状態に有り、更新させることもできないので植樹による維持か。ナギなども植栽されていた。


▼樹木配置図

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▼地図(多摩諏訪神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ヤマモモケヤキイチョウキンモクセイカヤ

ツバキムクノキトウネズミモチサカキ

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建御名方命



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by shasou373 | 2018-02-03 00:01 | ■ 関東地域

松陰神社

◎神 社 名 :松陰神社(旧府社)(しょういんじんじゃ)

◎住  所:〒154-0023 東京都世田谷区若林4-35-1

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

明治新政府樹立に活躍した中心人物を数多く育てた吉田松陰を祭神とし、俗称大夫山にあり。境内には社殿、神楽殿、松下村塾(模型)、社務所などがあり、墓所には吉田松陰をはじめ、頼三樹三郎、来原良蔵などの墓がある。

安政の大獄は彼の如き影響力の大きな人材を見逃がすはずはなく、1859(安政6)年10月27日伝馬町の獄舎で遂に打首となり、越えて1863(文久3)年正月、彼の遺体は門弟高杉晋作などによって頼三樹三郎、来原良蔵などと共に、現在の地に移葬された。18828(明治15)年には、彼の旧藩士門弟らが中心となって墓の東側にささやかな堂を建て、降って1908(明治41)年、木戸、伊藤、山県、桂、乃木などの門弟たちが、松陰50年祭を営み、石の鳥居と石灯ろう26基を寄進した。

昭和の初め、社殿は大修理され、南面に改められ府社に昇格した。1942(昭和17)年には、松下村塾の模型が境内に建てられ、大いに忠君愛国の思想を鼓吹して当時の風潮に投じたが、終戦後は一般神社のたどったと同じ運命に陥り、保存維持に関係者を悩ましているが、1958(昭和33)年10月には180年祭がおこなわれた。尚、近くに陸軍大将桂太郎と明治の元勲廣沢真臣の基がある。

(『せたがや社寺と史跡』参照)


◎祭神など:

・吉田松陰


◎空間位置・面積等・植生など:

きちんと管理されている神社で、我々が調査するまでもないが社叢という概念ではとらえられない樹木の配置である。

「吉田松陰」という人物を奉る神社なので神観念が異なると思われるので、ここの「社叢」を一概に論じることはできないと思われる。


▼樹木配置図


※十分管理下にあるので平面図と社叢は記録なしとした


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▼地図(松陰神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

吉田松陰

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松下村塾大夫山(若林・世田谷区)頼三樹三郎来原良蔵廣沢真臣

高杉晋作木戸孝正伊藤博文山縣有朋桂 太郎乃木希典

安政の大獄


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by shasou373 | 2017-06-03 00:06 | ■ 関東地域

若林北野神社(天満宮)

◎神 社 名 :若林北野神社(わかばやしきたのじんじゃ)

◎住  所:〒154-0023 東京都世田谷区若林3-34-16

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

武蔵国深大寺の住僧長弁花光坊の「私案抄」には、1401(応永8)年に、ここで連歌法楽を興行したことが見え、当時ご神体は石で、石天神と称せられていたという。

江戸時代は牛に乗った天神が御祭神で牛天神といわれ、境内に井戸があり、白蛇が棲んでいると伝えられた。

虫歯の病気に霊験あらたかで、虫歯をやんだ時は天神に祈り、神殿の格子戸にさげた房楊子を借りて治療し、治ったならば新らしい房楊子をあげる習慣があったという。(『せたがや社寺と史跡』より)


◎祭神など:

菅原道真


◎空間位置・面積等・植生など:

天満宮なので社殿の周囲にウメが植栽されている。しかし、社叢とはいえないくらいの貧弱さだ。かって「マツ」の大径木があったようだが伐採されて樹幹が境内に放置されている。氏子組織がどうなっているのか聞き取りはできなかったが、あまり手は加えられてはいないようだ。



▼樹木配置図


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▼地図(若林北野神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ウメマツサカキ

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菅原道真

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深大寺

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【参考文献】

私案抄(国会図書館)


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by shasou373 | 2017-06-03 00:05 | ■ 関東地域

福寿稲荷神社

◎神 社 名 :福寿稲荷神社(ふくじゅいなりじんじゃ)

◎住  所:〒154-0024 東京都世田谷区若林2-18-1

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

若林稲荷神社(若林)ともいい、当神社の由緒によれば「当社ヲ福寿稲荷ト云、三反五畝ノ除地ハ明和六年四月地頭ヨリ寄附セリ、神体長サ五寸許、三衣ヲ着シ白狐二跨レリ、彩色ヲ施シ彫工イト巧ミナリ、祭礼九月廿二日、神楽ヲ奏セリ」とある。

1884(明治17)年ころは樹木うっ蒼とし、大木に囲まれた神社であったが、1945(昭和20)年に戦災にあい、現在では銀杏その他十教本の樹木があるのみである。なお神社には「正一位福寿稲荷大明神」と記した縦1.5m、横0.6mほどの古い額があったが、戦災で焼失してしまったという。(『せたがや社寺と史跡』より)


・祭礼は9月7日


◎祭神など:

・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

他の神社のように台地上にある。社殿は立派ではあるが樹木は立木を主体としてであり、社叢としては体をなしていない。ケヤキやクスノキなどがあるが都会の神社の宿命か樹高や枝などはとめられている。


▼樹木配置図

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ケヤキクスノキ


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▼地図(福寿稲荷神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】
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by shasou373 | 2017-06-03 00:04 | ■ 関東地域

太子堂八幡神社

◎神 社 名 :太子堂八幡神社

◎住  所:〒154-0004 東京都世田谷区太子堂5-23-5

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

太子堂八幡神社の創建年代は不詳だが、太子堂が草庵として創建された頃(年代不詳)、或いは太子堂村が興左衛門により新田開墾された天正年間(1573-1591)頃、創建したと推定される。


◎祭神など:

・誉田別命(ホンムタワケノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

台地の斜面に建立されており、禁足地もあり、今後更新可能な社叢である。禁足地の中にはケヤキやクスノキシイ類などの大径木もあり、異樹齢の樹種もあるようだ。

境内にはシラカシ、アカガシ、スダジイなどの常緑広葉樹にケヤキやムクノキ、エノキなどの落葉樹もあり、このあたりの植生を示している。最下位段は公園になっており、上記の樹種以外にスギなどの植林がなされているが境内とは斜面と瑞垣で区別されており、他に見られるような社叢地がが公園と化しているようなことにはならないようだ。

神木は社殿脇のクスノキの巨木である。また、世田谷区の「保護樹林地」に指定されているし、神職も「鎮守の森」維持に力を入れているようだ。


▼樹木配置図

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▼地図(太子堂八幡神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】


・シラカシ
アカガシスダジイケヤキムクノキ

エノキクスノキシイカヤマテバシイクロマツ

ヒマラヤスギサクラミズキカヤ

--

誉田別命(応神天皇)



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by shasou373 | 2017-06-03 00:03 | ■ 関東地域

三宿神社

◎神 社 名 :三宿神社(みしゅくじんじゃ)

◎住  所:〒154-0005 東京都世田谷区三宿2-27-6

◎調査月日:2017(成29)年6月3日(土)


◎由来など:

祭神は倉稲魂命をまつった稲荷社であるが、毘沙門天(木像1尺位)も祀られているので一名毘沙門様とも称せられている。昔、多聞寺(現在廃寺)の境内にあった毘沙門堂の本堂をうつしたものと伝えられ、現在の社殿は1967(昭和42)年の建築である。三宿の氏神で例祭は9月23日であるが、奉納される神楽のうちに、たぬきはやしがあるが、これは養老の滝の物語の孝子がたぬきを助けたという伝説にちなんだものだといわれている。(『せたがや社寺と史跡』参照)


・例祭/9月23日


◎祭神など:

・倉稲魂命(ウカノミタマ)

・毘沙門天(ビシャモンテン)


空間位置・面積等・植生など:台地の斜面を3、4段にして整地して建立されており、背後には公園の樹林があるので遠目から社叢とわかる。比較的大径木が多く、ケヤキ、シラカシ、シデ類シイ類など自然樹種と思われるものも多いが、カヤなどは直線上に並んでいるのでいるのでイチョウとともに植栽と思われる。

樹相は豊かで世田谷区の「保存樹林地」に指定されているが禁足地はなく、更新は難しいと思われる。


▼樹木配置図


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▼地図(三宿神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキシラカシシデシイカヤイチョウ

ヒマラヤスギケヤキスダジイイヌシデ

ウメモミジスギ

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倉稲魂命

毘沙門天



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by shasou373 | 2017-06-03 00:02 | ■ 関東地域

池尻稲荷神社

◎神 社 名 :池尻稲荷神社(いけじりいなりじんじゃ)旧池尻村池澤村鎮守

◎住  所:〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-34-15

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:当社の由緒書によると、今から300年前明暦年間の創立で旧池尻、池沢両村の鎮守である。古から「火伏せの稲荷、子育て稲荷」として住民の信仰をあつめていた。又、ここには「涸れずの井戸」という霊水があり、「神の道を信じ勤めその病気の平癒を心に三度念じ、神の薬として飲みほせば薬力明神の力により、病気立ちどころに快癒する」とある。昔この大山街道には赤坂一ツ木から池尻村まで飲用水がなく、往来の人や、農民たちは、いかなる旱天のときにも決して涸れたことのない「涸れずの井戸」をたよりにしたという。

 社の傍に直径125cm程の切株があるが、これは大平洋戦争ごろに枯れた松の御神木だったもので、昔ほ亭々としてそびえていた大木であったという。例祭は9月21日。(せたがや社寺と史跡より)


◎祭神など:

・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

5月と10月には「獅子舞」が行われ鎮守としての存在は保たれている。かって埼玉県の「ふるさとの森」の指定を受けていたところでかなり西側に自然林が残っている。「ふるさとの森」は全県的に今は解除され各市町村に移管されているが、本神社はかなりそのままの状態が続いている模様である。

 東側はソメイヨシノの植林が行われ、自然林はあまりないが西側は見沼代用水東縁が流れ、「斜面林」につづく平地林としてイヌシデ、アカシデ、コナラなどを主体とした自然林が残されている。社殿背後(北側)は勝手の見沼の入り江になっており、伐採は入っているが、自然植生と思われる樹種がわずかに残っている。


▼樹木配置図

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▼地図(池尻稲荷神社神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ソメイヨシノイヌシデアカシデコナライチョウ

サザンカスダジイケヤキシダレザクラヒノキ

エンジュクロガネモチクスノキモチノキ

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倉稲魂命


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by shasou373 | 2017-06-03 00:01 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


by shasou373