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平塚神社

◎神 社 名 :平塚神社(ひらつかじんじゃ)

◎住  所:〒114-0016 東京都北区上中里1-47-1

◎調査月日:2020年2月1日(土)


◎由来など:

平塚神社(旧平塚明神社)の略縁起

平塚神社の創立は平安後期 元永年中といわれている。八幡太郎源義家公が御兄弟とともに奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜された。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれた。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三御兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願った。

徳川の時代に、平塚郷の無官の盲目であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得て、将軍徳川義光の近習となり立身出生を果たした。その後、義光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願した。将軍の行基はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復した。家光自らも五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、たびたび参詣に訪れた。(平塚神社内看板より)


・紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻(北区指定有形文化財)

・平塚神社文書(北区指定有形文化財)


◎祭神など:

・八幡太郎源義家命

・賀茂次郎源義命

・新羅三郎源義光命

・豊島近義命


◎社叢状況:

山の手とした町を分ける台地上の際にあり、正殿の背後には塚がある。参道は大径木のケヤキが林立していて比較的長い。塚を中心に境内はスダジイが多く生育していて、禁足地となっている。また、拝殿正面には植栽されたと思われる大径木のイチョウが多い。境内ではないが北側と東側には遊歩道と雑木林再生の林地があり、都会の中では貴重なところとなるであろうと思われる。 


▼樹木配置図

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▼地図(平塚神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-02-01 00:01 | ■ 関東地域

小剣神社

◎神 社 名 :小剣神社(澤田聡光宮司)

◎住  所:〒355-0043 埼玉県東松山市早俣423-1

◎調査月日:2020年1月30日(木)


◎台風19号による被災神社の報告――全壊した小剣神社3ヶ月後の状況

 状況:

 令和元年10月12日、関東甲信越・東北地方を襲った、台風19号の記録的豪雨による洪水地のひとつ、早俣地区にある当該神社は、隣接する都幾川の堤防決壊による直撃を受けた。小剣神社は流失消滅したと言われる。3ヶ月を経た現状を報告致します。


1.現況:

 南面する社殿に対し、東側に決壊した都幾川の堤防があり現在は大規模な再築がほぼ完成している。西と北側は田園、南は運動グラウンドの低平地。南前面と西側にあった用水路は素掘りで復旧されており周囲は清掃整地されている。杜の南面に数本の倒木が並べられている。社叢は立派に残存する。社叢内に数本の倒木や材木片等がある。


2.神社施設:

 参道は無くなり、鳥居、階段、石垣をはじめ社殿等は崩壊流失している。

 わずかに小高くなった本殿地には、数メートルの玉石石垣が残るのみで、他は、木片等の他種々の基礎状のコンクリート塊が露出散乱している。


3.社叢:

 わずかに小高い地形に社叢は残っている。残る57本で構成される社叢は、ケヤキ、タブの木、スギ、コナラ等である。主に、胸高直径60~90cmの高径木7本と29本のスギによりランドマークを作っている。ケヤキが茂ればさらに立派になるであろう。特に西から眺められる社叢はあの宮城の狐塚を大きくした風景である。ただ当地の水害は海水ではないので、もとより湿地にある残存樹木の大部分は健在するのではないかと思われる。


4.

 今回の現地訪問には、津田宮司には連絡、お会いせず調査のみにとどめた。


5.

 調査の問、社を訪れた人は親子連れの家族、若い男性、企業の勤め人各1人の方々であった。

 また、東松山市役所所員2名が現地調査に訪れてきた。市民からの片付けの相談があったためという。


6.

 その他:社叢調査図2、写真6葉以上、報告いたします。


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▼樹木配置図


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小剣神社 写真説明


全 景  参道、鳥居、階段、社殿が流出、又は破壊(2020.1.30)

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全 景  再築された都幾川堤防上から(2020.1.30)

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社殿痕跡(2020.1.30)

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外周状況(2020.1.30)

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社叢内  社殿石垣のみが数メートル残る(2020.1.30)

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西側より望む社叢  奥は東側の再築された都幾川堤防(2020.1.30)

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▼地図(小剣神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-01-30 00:01 | ■ 関東地域

御嶽神社

◎神 社 名 :御嶽神社(おんたけじんじゃ)

◎住  所:〒177-0042 東京都練馬区石神井町4-34-9

◎調査月日:2020年1月4日(土)


◎由来など:

 創立年代は不詳だが文化・文政年間1804~30)と推定される。その頃木曽御嶽講に入った石塚平左衛門〔天保六年(1835)歿〕が分霊を祀ったのが始まりと言われる。その後先達を務めた石塚忠明(天保14年~大正10年)は、大正2年(1913)東京一山講社を組織し、御嶽登山50余回、講員は千八百余名に達した。中座の地位を与えられ一山忠明教会を創立した。

 境内石造物はすべて明治以後のもの。明治19年(1886)の一山霊神三十七年祭碑が最も古い。社殿は明治39年(1906)に本殿新築と拝殿の修補を行い(本殿基礎台石)、社殿改築は大正七~九年(1918~20)、大震災後の社殿再建は大正13年(1924)に施工している(拝殿の額)。例祭には、戦前まで火渡りの行事が行われていた。

 境内樹木はケヤキ、スダジィ、シラカシ、ムクロジが太幹である。(「練馬の神社」より)


◎祭神など:

・国常立命

・大己貴命

・少彦名命

・國狭槌尊(クニサツチノミコト)

・豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)

一山霊神(イッサンレイシン)


◎社叢状況:

住宅地の中にあり境内はそう広くはないが御嶽神社の社のほかに一山神社も祀られており・背後には溶岩を集めた御嶽が形づくられている。東側には保存樹木である大径のケヤキとムクロジがあり、鳥居のそばにはシラカシが生育している。南左側には石碑の小山がありヒサカキ、サカキの密集が見られる。全体にはまとまっており、このような社叢があっても良いのではと思われる。 



▼樹木配置図

                                     

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▼地図(御嶽神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-01-04 00:06 | ■ 関東地域

厳島神社

◎神 社 名 :厳島神社(いつくしまじんじゃ)

◎住  所:〒177-0045 東京都練馬区石神井台1-26

◎調査月日:2020年1月4日(土)


◎由来など:

 創立年代等不詳。「新編武蔵風土記稿」上石神井村の項に「弁天社 三宝寺池ノ中島ニアリ。神楽堂」「水天宮 池ノ側ニアリ。」とある。弁天社は神仏分離後に厳島神社となる。水天宮は水神社である(当社から東へ50mほどの池畔にある小祠)。厳島神社は昭和56年から境内の護岸工事、57年には社殿の改築工事を始めて58年に鉄筋コンクリート造として竣工した。

 南の丘の下に洞穴の祠があって穴弁天という。「北豊島郡誌」石神井村の項に「無格社厳島神社。大字上石神井字大門に在り、即ち三宝寺池畔の弁財天なり、石神井案内に曰く、池畔の洞窟、奥深き所には池霊の弁財天像を安置し里人相伝へて尊敬している。冒険の士は一把の松明を携へて暗黒裡陰風凄愴なる辺りに、池霊と相語るも亦快きことではないか」と記されている。雨乞いに際し、本殿に祀り祈願すると必ず雨が降ったという。(中略)

 相殿の祭神は明治41年、大正4年に近隣の稲荷神社、愛宕神社、御嶽神社を合祀したものである。(「練馬の神社」より)


◎祭神など:

・狭依姫命(サヨリヒメノミコト)

・香具槌命(カグツチノミコト)

・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)

・国常立命(クニノコトタチノミコト)


◎社叢状況:

かっては池の中の島にあったということで境内は狭く、アカマツの立木があるのみで地表はササに覆われている。宇賀神社穴弁天と向かい合っている。



▼樹木配置図

調査を省略した


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▼地図(厳島神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-01-04 00:05 | ■ 関東地域

石神井台氷川神社

◎神 社 名 :石神井台氷川神社(しゃくじいだいひかわじんじゃ)

◎住  所:〒177-0045 東京都練馬区石神井台1-18-24

◎調査月日:2020年1月4日(土)


◎由来など:

 本社は石神井郷の総鎮守にして、谷原、田中、上石神井、関、下石神井の五ヵ村より篤い崇敬をうつけできたのみならず、今日なお一般に「石神井の氷川さま」と尊称され、その御神徳をますます発揚している。本社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵国風土記稿』『江戸名所図会』等の諸誌に明記されているところであるが、現存の御手洗鉢に、「石神井郷鎮守社」と銘刻がのこされているのはそのたしかな証拠であろう。社伝によれば、本社は応永年間(1354〜1428)豊嶋氏が、大宮の武蔵国一ノ宮の氷川神社の御分霊を石神井城内に奉斎したのにはじまるという。しかして、文明九年(1477)四月十八日、石神井城が太田道灌によって攻略され廃城となるや、本社は里人の鎮守神と仰がれ、今日におよんでいるのである。

 御鎮座以来、諸人から厚く尊信されてきたが、ことに豊嶋一族の待遇は格別であったようで、現に本殿の左右にたっている石燈龍一対のごときは、当城歿落後とはいえ、豊嶋氏の子孫、泰盈・泰音によって奉納せられたもので、豊嶋氏が本社崇敬の篤かったことを物語っている。

 本社は本殿・幣殿・拝殿・神楽殿・神饌所・水舎・社務所・玉垣等が完備されており、社殿は文政年間(1818〜30)にたてられたものと推測される。(「東京都神社名鑑」により)


◎祭神など:

・須佐之男命

・稲田姫命

・大己貴命


◎社叢状況:

 広い境内やその周辺はかっての武蔵野の雑木林を彷彿とさせるところで社叢林としては十分な佇まいである。社務所を新築中なので樹木の伐採があったらしいがどの程度かは現時点ではわからない。周辺地域からの信仰も篤いようなので心配は無いと思われる。


▼樹木配置図

調査はしていない


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▼地図(石神井台氷川神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-01-04 00:04 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


by shasou373