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常世岐姫神社

◎神 社 名 :常世岐姫神社(とこよきひめじんじゃ)

◎住  所:〒361-0033 埼玉県行田市渡柳1479

◎調査月日:2020年11月7日(土)


◎由来など:

当社の創建に関わる史料・口碑はないが、往古より渡柳の村の鎮守として祀られている。もともと、当社は八王子大権現と称し、万法院が別当であったが、明治初めの神仏分離により同寺の管掌を離れ、明治2年5月には現在の社名に改めて村社となった。その後、明治42年に、同村内にあった諏訪神社・天神社・伊奈利神社・洗磯前神社・八幡神社・神明社・塞神社を合祀し、現在に至っている。

主祭神は常世岐姫命である。文政9年再建のものと伝えられる一間社流造りの本殿には、金幣のほかに、合祀を行った旨が墨書された神璽箱が納められている。

渡柳には、埼玉古墳群に属する前方後円墳三基をはじめとする多くの遺跡がある。当社も古墳上に建立され、幾つかの出土品を所蔵していたという。

なお、「風土記稿」には、渡柳の村名を姓とし、中世に活躍したという渡柳弥五郎の霊を祀った八幡社(通称は弥五郎八幡)が当社の末社として記されているが、現在その所在は不明である。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・常世岐姫神


◎社叢状況:

南東向きの参道があり、植林と思われるスギ、ヒノキの並木のなっている。参道の西側は駐車場となっていて社叢は失っている。また、東側にもゲートボール場とおぼしき広場があり、社叢は大きく失われていた。しかし、本殿背後にはスギヒノキの植林とともにイヌシデ、モミ、ケヤキなどの大径の自然木と思われる樹木もあって社叢が成立している。一応、管理されているようなので見守りたい。


▼樹木配置図


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▼地図(常世岐姫神社へのアクセス)




# by shasou373 | 2020-11-07 00:01 | ■ 関東地域

王子神社

◎神 社 名 :王子神社(おうじじんじゃ)

◎住  所:〒114-0022 東京都北区王子本町1-1-12

◎調査月日:2020年2月1日(土)


◎由来など:

王子権現は、縁起によれば紀州熊野三所を勧請したもので、祭神は速玉之男命、伊弉册尊、事解之男命である。王子村は古くは岸村といったが、同社が勧請されて王子村と改めたという。勧請の年代は不詳であるが、康平年中(1058~65)源義家が奥州征伐(前9年の役)の時、ここで金輪仏頂の法を修せしめ、凱旋の日、甲冑を奉納したと縁起にあるので、それ以前の勧請であると推定される。

文保(1317~19)、元弘年中(1331~34)豊島氏が修造し、その後小田原北条氏が社領を寄進していることが「小田原衆所領役帳」に記されている。天正19年(1591)、社領200石の朱印が付され、寛永11年(1634)徳川家光は酒井雅楽頭に社殿を造営するよう命じ、林羅山にこの権現を新たに書くように命じた。天明2年(1782)、文政3年(1820)幕府によって修理が加えられている。

祭礼は花鎮祭といい、3月10日に行われていたが、廃されてしまった。また、7月13日の祭礼には田楽舞という式が行われており、正月13日には十八講が行われ、年中大小の祭礼は七十余りになる。《「新編武蔵風土記稿」現代文に要約》境内には大イチョウ、関神社がある。(北区文化財案内より)


・王子神社境内の大銀杏(東京都指定文化財)

・王子神社の田楽舞(北区無形文化財)


◎祭神など:

・伊弉諾尊

・伊弉册尊

・天照大神

・速玉之男命(はやたまのおのみこと)

・事解之男命(ことさかのおのみこと)


◎社叢状況:

戦災で焼失した社叢や社殿は再建されて、社殿の背景にはシラカシ林が成立し、境内には大径木のクスノキが林立している。消失を免れた大イチョウが石神井川側のあり、胸高直径2mはありそうだ。

社叢としては十分役割を果たしている樹木林であるが、更新はそのような配慮をしていないようなので難しいと思われる。


▼樹木配置図

(省略)


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▼地図(王子神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-02-01 00:05 | ■ 関東地域

王子稲荷神社

◎神 社 名 :王子稲荷神社(おうじいなりじんじゃ)

◎住  所:〒114-0021 東京都北区岸町1-12-26

◎調査月日:2020年2月1日(土)


◎由来など:

祭神は宇氣母智之神、和久産巣日神、宇迦之御魂神です。もと岸稲荷と称し、創建は不詳だが、治承4年(1180)源頼朝が源義家の腹巻(鎧の一種)、薙刀等を奉納したと伝え、古くから関東惣社と称したということである。社殿は、寛永11年(1634)王子神社とともに幕府の手で造営され、元禄16年(1703)にも幕府によって造営され、現在の社殿は文政5年(1822)建立によるものである。

「江戸名所図会」は、当時のこの界隈の賑わいを「実にこの地の繁花は都下にゆづらず」と伝えている。

この神社には「額面著色鬼女図」がある。これは、天保11年(1840)、江戸の住吉明徳講(東京砂糖元売商組合の祖)が柴田是真に委嘱して描かせ、業界の守護神と崇敬するこの神社に奉納した絵馬で、渡辺綱に腕を切られた羅生門の鬼が、叔母に化けてその館を訪れ、すきをみて切られた腕を持って逃げる姿を図にしたものである。また、拝殿および幣殿の格天井に、谷文晁による竜の絵がある。(北区文化財案内より)

御鎮座ははっきりしないが、「康平年中(1058-65)、源頼義、奥州追討のみぎり、深く当社を信仰し、関東稲荷総司と崇む」と伝えられるように、平安朝中期にはすでに相当の社格を有しており、江戸時代には徳川将軍家祈願所の一つに定められた。そのころ隆盛になった稲荷信仰に合わせたように、江戸中期より授与されはじめたと伝えられる「火防守護の凧守」が、その奴を凧御守にした形の面白さもあって 評判となり、初午の縁日は「凧市」と呼ばれ今日に続いている。(「東京都神社名鑑」より)


◎祭神など:

・宇氣母智之神(うけもちのかみ)

・和久産巣日神(わくむすびのかみ)

・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)


◎社叢状況:

地図上の位置:平塚神社、七所神社、飛鳥山と続く崖線の中腹にある。崖線からの湧水もあるらしい。関東の稲荷総社らしいので昔から崇敬の対象であったらしく、今日でも立派な社殿等が建つ。境内にはクスノキの大径木、ケヤキの大径木があり、社叢は斜面林を利用している。


▼樹木配置図

(省略)


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▼地図(王子稲荷神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-02-01 00:04 | ■ 関東地域

装束稲荷神社

◎神 社 名 :装束稲荷神社(しょうぞくいなりじんじゃ)

◎住  所:〒114-0002 東京都北区王子2-30-14

◎調査月日:2020年2月1日(土)


◎由来など:

今から約千年の昔この附近一帯は野原や田畑ばかりでその中に榎の大木があり、そこに社を建てて王子稲荷神社の摂社として祭られたのがこの装束稲荷であります。

この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年12月の晦日の夜関東八ヶ国の稲荷のお使いがこの村に集まりここで装束を整えて関東総司の王子稲荷神社にお参りするのが例になっていて当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。江戸時代の画聖安藤広重がその装束稲荷を浮世絵として残しています。

昭和20年4月13日の大空襲の際猛烈な勢いで東南より延焼して来た火災をここで完全に食い止めて西北一帯の住民を火難から救った事は有名な事実です。この霊験あらたかな社が余りにも粗末であったので社殿を造営せんものご地元有志の発起により多数の信者各位の御協力を得て現在の社伝を見え至りました。

この装束稲荷は商売繁昌の守護神のみならず信心篤き者は衣装に不自由することなく、又火防の神としても前に述べた通りで信者の尊栄を高めています。

昭和29年12月吉日 装束稲荷神社奉賛会(境内掲示より)


「王子の狐火と装束榎」

かつてこの辺りは一面の田畑で、その中に榎の木がそびえていました。毎年大晦日の夜、関東各地から集まってきた狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。

江戸の人々は、商売繁昌の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。

昭和4年(1929)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後にこの榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。平成5年(1993)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷神社までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。(北区教育委員会掲示より)


◎祭神など:

・宇迦之御魂神


◎社叢状況:

街中にあり、境内は狭い。大晦日の「狐の行列」の集合出発地である。伝えある榎木は二代目で胸高直径30㎝ぐらいに成長しているが、あとはわずかな庭木があるのみで社叢といえる樹林はほとんどない。


▼樹木配置図

(省略)


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▼地図(装束稲荷神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-02-01 00:03 | ■ 関東地域

七所神社

◎神 社 名 :七所神社(ななしょじんじゃ)

◎住  所:〒114-0024 北区西ヶ原2-11-1

◎調査月日:2020年2月1日(土)


◎由来など:

この神社の祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天児屋根命、伊斯許理度売命、市寸島比売命、品陀別命(応神天皇)、帝中日子命(仲哀天皇)で、由来については寛政5年(1793)火災により社殿古記録等一切が焼失したためよくわかっていない。

「新編武蔵風土記稿」には「村ノ鎮守トス」と記され、古くは別当寺であった無量寺の境内にあり、寛政6年再建後もそこに祀られてた。「江戸名所図会」にも、無量寺の裏の高台に描かれている。明治初年神仏分離の際、神明宮社地(現在の地)に移され(明治3年)、西ヶ原の総鎮守として奉祀されるに至ったものである。

末社には神明宮、稲荷神社、熊野神社、菅原神社、三峯神社がある。神明宮は天照大神を祭神としており、もともとこの地にあった神社だが、七社神社移転により末社となったものである。現在、切株が残っている杉の古木はその神木である。

また、旧社務所は村の青年会の発起で渋沢栄一、古河市兵衛を筆頭とする諸氏の寄附により大正9年建てられたもので、公会堂を兼ねたものであった。

なお、この境内から隣地にかけての一部は七社神社裏貝塚として知られた遺跡で、縄文式土器、弥生式土器、土師器などが発見されている。(七社神社境内掲示より)


◎祭神など:

・伊邪那岐命

・伊邪那美命

・天児屋根命(あまのこやねのみこと)

・伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)

・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)

・品陀別命(応神天皇)(ほむだわけのみこと)

・帯中日子命(仲哀天皇)(たらしなかつひこのみこと)


◎社叢状況:

平塚神社と同じ台地際にあり、かっての入り江上の台地だったと考えられる。遺跡の存在はそれをものがたり、縄文などの遺跡の存在は聖地だったと思われ興味深い。神明宮の神木スギの痕跡はそれを意味しているようだ。

今の神木は拝殿向かって左の大イチョウだ。境内は大径木のスダジイ、ケヤキなどが多い。また、桜の種類も数多植栽されているし、その他、ゲッケイジュやハマヒサカキ、センダンなども生育している。


▼樹木配置図


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▼地図(七所神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2020-02-01 00:02 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


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