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越生神社

◎神 社 名 :越生神社(おごせじんじゃ)

◎住  所:〒350-0416 埼玉県入間郡越生町越生1015

◎調査月日:2022年7月2日(土)


◎由来など:

当社の鎮座する大字越生は、越辺川上流の河岸段丘上に位置し、古くは越生郷16ヵ村の本村として栄え、現在も町の中心地となっている。また、中世には、市が開かれたことから、江戸時代には今市村と称していた。

越生の地名の由来は、武蔵七党の児玉党の一族である越生氏が居住していたことにより、地内には越生氏に関する旧跡も多い。現在、当社の境内となっている場所もその一つで、将軍の命を受けて建久3年に古刹、報恩寺を再興したことで知られる越生氏の館の中心地であったと伝えられる。

また「奥の院」と通称される当社奥宮のある高取山は、その頂上から関東平野が一望できるため、越生二郎家行が物見の砦を置いたとも児玉四郎基行が館を築いたとも伝えられる。この奥宮は、元来は琴平神社と称し、越生氏が当地に館を構えるに当たり、その守護神として勧請した社であるといわれている。『明細帳』によれば、その創立を文治年間(1185~90)として、応永年間に兵災に遭って焼失し、その後は仮宮を建てて奉斎していたものを、文化12年3月10日に信者が力を合わせて再建したが、再び破壊されたため、明治10年4月10日に新たに造営されたものが現在の社殿とある。

今日、越生神社として奉斎している社は、神社整理政策により、明治42年6月18日に大字越生字町に鎮座していた村社八幡神社をはじめとして、同社の境内社であった日吉神社、大字黒岩字堂前の村社八坂神社、大字越生字町の無格社稲荷社及び八坂社、大字越生字岡崎の無格社稲荷神社、大字越生字稲荷の無格社稲荷社、大字越生字関ノ上の無格社稲荷社の八社を、この琴平神社(旧社格は無格社)に合祀の上、社号を越生神社と改め、高取山麓に新たに社殿を造営したことにより誕生したものである。

村社であった八幡神社は、元禄11年の『報恩寺年譜録』によれば、天平宝字元年(757)伽藍鎮護の神として勧請されたと伝えられ、越生(旧今市村)の鎮守としても厚く信仰されていた古社であった。そのため、現在でも年輩の人の中には、当社を「八幡様」と呼ぶ人が多い。

主祭神は大物主命で、合祀神は誉田別命・大山咋命・素盞嗚命・倉稲魂命である。本殿は一間社流造りで、拝殿・覆屋・手水舎等の諸建造物と共に明治42年に造営されたものである。

当社の祀職は、明治42年から毛呂山町の出雲伊波比神社社家の紫藤家が宣安、豊次郎と二代継いだ後、昭和22年に越生町大字西和田の春日神社社家の石井武治がこれを継ぎ、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・大物主命 (誉田別命・大山咋命・素盞嗚命・倉稲魂命)


◎社叢状況:

山の斜面に鎮座しているので、社叢というよりは正殿の背後は雑木林である。明治に新たに造営したので社叢としては植栽であろうと思われる樹種が多い。ケヤキやヒノキ、イチョウなどに大径木が多いが、自然更新とは行かないであろうと思われる。


▼樹木配置図


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▼地図(越生神社へのアクセス)





# by shasou373 | 2022-07-02 00:04 | ■ 関東地域

稲荷神社

◎神 社 名 :稲荷神社(いなりじんじゃ)

◎住  所:〒350-0424 埼玉県入間郡越生町黒岩

◎調査月日:2022年7月2日(土)

◎由来など:

詳細は不明


◎祭神など:

・倉稲魂命

◎社叢状況:

道路拡張の折、移転したと思われ、樹木一切無い。または個人の家神だったのであろうか、詳細は不明である。


▼樹木配置図

なし

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▼地図(稲荷神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2022-07-02 00:03 | ■ 関東地域

春日神社

◎神 社 名 :春日神社(かすがじんじゃ)

◎住  所:〒350-0412 埼玉県入間郡越生町西和田317

◎調査月日:2022年7月2日(土)


◎由来など:

 西和田は秩父山地の東麓、岩殿丘陵にある。『風土記稿』に「春日社慶安二年社領五石の御朱印を賜ふ、天文十二年竜穏寺第七世僧良筠が書し縁起を閲るに、当社は昔、藤原季綱と云人左遷せられ、此越生郷に幽棲して、一日阿諏訪山に遊猟せしに、其氏の神はるばると慕ひ来り、秩父郡高山の峯に光をはなつ、これ即毛呂明神なり、季綱謹で拝し、やがて一体を二所に祝ひ祀り、当所に祭れるを内裡明神と称せり」とある。

 所蔵文書は「延暦元壬戌年内裏山と称する嶺獅子岩の背後にありて大神宮八幡大菩 薩春日大明神を合せ祀りて大理大明神と称せしなり、其後大同元年大将軍坂上田村麿 東征の時崇敬ありて今の地に奉遷せられ、又其後衰頽せしを以て永禄元戌午年松山城主上田能登守再営せられ玆に旧観に復し同二年二月二十六日時世を憚り社号を春日大 明神と改称す」と記す。

 また『風土記稿』は「内裡と称することは旧きことにや、堂山村最勝寺の什物大船 若経の櫃の裏書きに、越生郷内裡宮常什也明応三年とあり」と載せ、さらに「例祭九 月廿八日・廿九日の両日、流鏑馬を修行す、此流鏑馬式の来由を尋るに、近戸権現別当最勝寺古当社の別当職を兼し頃、当社の宝物大般若経を所望し、神職及氏子に請て最勝寺に送りし時、彼近戸権現の旧例に行わるる流鏑馬式と易しより、以来当社にて 行ふと云ふ」とある。

 社蔵文書「寛政十午年四月 寺社奉行宛 『郷名ヲ被掠取神職ニ差障候出入』訴訟人石井越前・相手上野村森村大和」があり、神職間の配札の争いを記したもので、この内に「私持の春日大明神の儀は往古より越生郷の内和田村に鎮座有之越生拾六郷の惣鎮守にて毎年九月廿八日九日両日右拾六郷の者参詣致来越生郷の内大谷村和田村今市村右三ケ村にてやぶさめ神事祭礼致来即郷中の寺院修験春日明神拝殿において御祈祷相勤来候て越生郷惣鎮守に相違無御座候」の文が見える。

 当社には朱印状九通が残り、慶安二年十一月十七日の家光から万延元年九月十一日家茂まで「武蔵國高麗郡和田村春日大明神社領同所之内五石事任先規寄付之訖全可収納并社中山林竹木諸役等免除如有来永不可有相達者也」とされていた。

 三間社流造りの本殿は「天保十一年越生惣鎮守奉加帳」があり、この折の再建と思われる。内陣には懸仏三面を安置する。

 明治五年に村社となり、同四〇年には仲ノ谷の住吉社、房ノ前の神明社、富士塚の浅間社、古武ノ山の天神社、大明神の稲荷社、堀ノ内の八幡社を本殿に合祀する。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・武甕槌神


◎社叢状況:

 正殿の後方にはスギ・ヒノキの植林があり、社叢として育成していこうという意思が見受けられる。また、大径木の古木もあり、新旧取り混ぜての社叢は今後に期待が持てる。

 神木として正殿向かって右には胸高直径90cmのスギがそびえており、他にもシラカシやアラカシなどの本来の植生である樹木も存在している。正殿向かって左側には三葉のマツ類が生育しており、シロマツと考えられる。樹高・直径からかなり以前に植栽されたと思うが、高野山のマツ(三鈷の松)と同じである。樹肌がアカマツやクロマツに近いので交雑種かもしれない。


▼樹木配置図


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▼地図(春日神社へのアクセス)


# by shasou373 | 2022-07-02 00:02 | ■ 関東地域

川口稲荷神社

◎神 社 名 :川口稲荷神社(かわぐちいなりじんじゃ)

◎住  所:〒350-0412 埼玉県入間郡越生町西和田

◎調査月日:2022年7月2日(土)


◎由来など:

詳細は聞き取りできず


◎祭神など:

・倉稲魂命


◎社叢状況:

畑中の南端に位置し、わずかに丘をなしている。左右は住宅地だが、かっては背後が畑であるので耕地の中に鎮座していたと思われる。また、小さな社を取り巻くように植栽されている5,60年生のヒノキは樹高を止められているように伐られているので、世話をする氏子組織が存在するのであろうと思われる。



▼樹木配置図


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▼地図(川口稲荷神社へのアクセス)



# by shasou373 | 2022-07-02 00:01 | ■ 関東地域

前玉神社


◎神 社 名 :前玉神社(さきたまじんじゃ)

◎住  所:〒361-0025 埼玉県行田市大字埼玉5450

◎調査月日:2021年11月7日(土)


◎由来など:

前玉神社は、行田市前玉にある神社で浅間塚古墳に鎮座している。前玉神社の創建年代や由緒については不詳だが、延喜5年(905年)に作成された延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「前玉神社」に比定される古社である。近世に入り、忍城主成田下総守氏長の命により、忍城内に祀ってあった浅間社を当地へ遷座したといわれている。明治6年に郷社に列格、明治41年当村付近の神社を合祀してできた明治神社がある。「浅間社」(新編武蔵風土記の江戸時代の口承)

祭神木花開耶姫命にして、「延喜式」に載せたる前玉神社なれば郡中の総鎮守なりと土人いへいり。されど屈巣村の傳へには、当社は式内の社にはあらず、昔富士の行者己が命の終る時に臨み、当所にのみ雪を降すべしといひしに、六月朔日終穏の日、果たして雪の降りたることあれば、成田下総守氏長奇異の思をなし、此所に塚を築き、家人新井新左衛門に命じて、忍城中にありし浅間社をここに移し、則成田氏の紋をつけて、行者の塚上に建り。されば忍城没落の後、彼新左衛門屈巣村に住せしより、子孫今の五郎左衛門に至り祭礼毎に注連竹を納むるをもて例とすと。

社地の様平地の田圃中より突出せる塚にて、周り二町程、高さ三丈余、四方に喬木生い 茂り、頂上は僅に十坪程の平地にして、そこに小社を建つ。これを上ノ宮と云、夫より石階数十級を下り、又社あり。これを下ノ宮と云。

相傳ふ、此塚は天正の頃下総守氏長の築きし塚といへど、其様殊に古く、尋常のものにはあらず。上古の人の墳墓地なるも知るべからず、されば当社の鎮座も古きことにて、彼行者の霊社なりと云 は、尤便事にて取べからざつは勿論なり。成田氏の紋を記せるは、天正の頃彼の家より造立してか くせしにや。されど天保天和等の棟札のみを蔵て、余に證すべきこともなければ、詳かなることは 知るべからず。

※古墳と思われる山頂に前玉神社、中腹に浅間社がある。(平面図参照!)


◎祭神など:

・前玉彦命

・前玉比売神


◎社叢状況:

面積は1.45haあり、埼玉古墳群の一角の古墳の上にあるという特異な位置に本殿がある。周囲は現在畑作耕作地が広がっているが、古墳群からすると過去の時代にはかなり地区の中心的なところだったと思われる。本殿ははほぼ南向きで、参道とはほぼ直角で交わる。

ムクノキの大径木が多く生育していて胸高直径が80cmのものが多数存在する。ヒノキ、スギなどの造林地に囲まれているが、暖地性のスダジイ、シラカシなども大木であり、低木層としてサカキ、ツバキなど照葉樹も多く自然林の林相を保っている。

神木はムクノキとイヌマキの2本あり、イチョウ、ヒマラヤスギなど植栽と思われる樹種もある。 主要なムクノキ群は高木層をなし、良好な生育をしている。ムクノキの老齢林は珍しく、形成の過程を調査する価値があると思われる。林内はスギ、ヒノキの植林もあるが、下層に照葉樹林が育っており北側と西側の聖域を自然の状態で保てば良いのではと思われる。


▼樹木配置図


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国宝 鉄剣


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鉄剣が発掘された稲荷山古墳



▼地図(前玉神社へのアクセス)




# by shasou373 | 2020-11-07 00:02 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


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