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カテゴリ:■ 関東地域( 114 )

入間野神社

◎神 社 名入間野神社いるまのじんじゃ)

◎住  所〒350-1316 埼玉県狭山市南入曽640-2

◎調査月日2019年4月6日(土)


◎由来など:

鎮座地南入曽は、武蔵野台地の一角を占める狭山丘陵上に位置するため、古来、農耕は天水を頼るしかなかった。そのため、隣接する北入曽にある「七曲の井」や掘兼にある「掘兼の井」などの旧跡に見られるように、この地域では古くから大規模な井戸が掘削されてきた町である。国井神社という当社の古称から、当社は井戸の神・水の神として、祀られたとも考えられる。

 社伝によれば、当社の創建は建久三年と伝え、古くは国井神社と称していたが、後に御嶽大権現と改めたという。改称の年代は明らかではないが、内陣に納める祭神大山祇命の本地仏である石像の銘文に「天正六年戊寅卯月」とあるところから、あるいはこの年に御嶽大権現を勧請し、社名を改めたものかと推察される。

 明治初めの神仏分離により、別当であった金剛院の管掌を離れ、社号を御嶽神社と改め、明治5年には南入曽の村社となった。同40年には八坂神社・天神社・稲荷社・神明社の四社を合祀し、更に、同44年には水野の村社で木花咲耶姫命を祀る浅間神社を合祀すると同時に社名を入間野神社と改めた。よって、覆屋の中には、流造りの御嶽神社本殿と春日造りの浅間神社本殿とが並んで奉斎されている。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

大山祇命(オオヤマツミ)

・木花咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ)


◎社叢状況:

境内地は六甲山南向き山腹斜面のテラス状の緩斜面地にあり、クロガネモチ、ヤマモモなどの常緑照葉樹林の高木に囲まれている。クスノキの個体数が少ないところに特徴がある。六甲山は花崗岩帯であるが、境内地周辺は水成岩であり、大岩が磐座として祀られている。

 代表的な高木は、参道および社殿広場にあるクロガネモチ6本、ヤマモモ3本、スギ1本である。社殿東側に拡がる社叢では、より高木やより老木が数多く見られる。


▼樹木配置図


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▼地図(入間野神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

クロガネモチヤマモモスギサクラヒマラヤスギ

ケヤキシロダモカキシイサカキクスノキユズリハ

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大山祇命

木花咲耶姫命

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七曲の井

掘兼の井



by shasou373 | 2019-04-06 00:01 | ■ 関東地域

伊勢山皇大神宮

◎神 社 名:伊勢山皇大神宮(いせやまこうだいじんぐう)

◎住  所:〒220-0031 横浜市西区宮崎町64

◎調査月日:2019(平成31)年2月2日(土)


◎由来など:

当宮は横浜が開港場となった明治3年11月、神奈川県より太政官へ内外教化の別を明らかにするため、天祖を伊勢山の地に奉斎せんとの建白書を出した。同年9月神祇省から「伊勢山大神宮の儀、官国幣社等外別格に処し云々」と定められた。

又神奈川県は告諭書を以て「伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして崇敬胆仰せしめんとす云々」と布告し、横浜総鎮守に制定せられ、明治8年県社に列した。神社本庁別表神社。(神奈川県神社誌より)


◎祭神など:

・天照皇大神


◎周辺状況:

特別な神社なので社殿も立派である。周囲も様々な樹木を植栽してあるので境内に一定の雰囲気を醸している。

明治年間の創立なので社叢を論じるのは控える。



▼樹木配置図

省略


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新本殿 伊勢神宮より移築



▼地図(伊勢山皇大神宮へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

天照皇大神

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明治

神社本庁別表神社

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太政官



by shasou373 | 2019-02-02 00:06 | ■ 関東地域

戸部杉山神社

◎神 社 名:戸部杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)

◎住  所:〒220-0051 横浜市西区中央1-13-1

◎調査月日:2019(平成31)年2月2日(土)


◎由来など:

白鳳3年(675)三月当戸部地方開拓の祖神として出雲大社の御分霊を勧請したもので、歴代の国府地頭代官の尊信厚く、幕府からは御朱印を与えられ、祭りも盛んで幟の如きは幅一間丈一〇問に及ぶもので世人これを「戸部の馬鹿幟」といった。社頭にはもと一基の古墳があり、往昔大祭の日神輿の渡御中この古墳の前で動かなくなったので、神慮を畏み墳丘中に埋納し、神輿塚と称し神社と共に崇敬した。爾来当社は宮神輿を有しない。

現在の社殿は大正12年の震災で焼失し仮宮であったが、昭和31年八月当時鉄筋コンクリート造のさきがけとして竣功したもので、同年の神奈川県建築コンクール第一部に入賞している。(神奈川県神社誌より)


◎祭神など:

・大己貴命(オオナムチ)


◎周辺状況:

比較的広い境内であるが、神楽殿の周囲は駐車場になっているのは現実的な実情であろう。鳥居をくぐると戦災で生き残ったケヤキの大木があり、 神木となっているが心材に焼け跡が残っている。ケヤキやイチョウの大径木は多数あり、夏期は緑陰となろうことは容易に想像できるが、社叢としては若年木がほとんど無いので更新は難しいと思われる。社務所付近はタブノキなど植栽が見られ、社殿の周囲は入れないようになっているので社叢林としては工夫する必要があるだろう。

江戸名所図会には「延喜式内社にして霊蹤尤も掲然たり、今は日蓮宗法性寺といへるより兼帯奉祀して、釈迦如来を本地仏とせり」と記している。縁起式神名帳に「都築郡杉山神社」とあり、又続日本後記に「承和5年2月庚戌、武蔵国都築郡枌山神社、預之官幣、以霊験」「同15年5月庚辰、奉授武蔵国旡位杉山名神従五位下」等とあるのを、古来当社なりとする説もある。

[伝説]

「棟木の怪談」昔当社境内の杉の木を伐り、江戸に運んで芝居小屋の棟木に使用したところ、屋鳴り震動等の怪談相次ぎ、遂に初日の幕を開くことが出来なかったという。(「神奈川県神社誌」より)


▼樹木配置図


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▼地図(戸部杉山神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキタラヨウタブノキスギイチョウ

クスノキアカマツ

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大己貴命(大国主)

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白鳳大正昭和

地頭代

江戸名所図会



by shasou373 | 2019-02-02 00:05 | ■ 関東地域

岡野神社

◎神 社 名:岡野神社(おかのじんじゃ)

◎住  所:〒220-0073 横浜市西区岡野2-4-15

◎調査月日:2019(平成31)年2月2日(土)


◎由来など:

弘化4年(1847)正月、参州碧海郡川島村の太田佐兵衛なる者、武蔵国久良岐郡横浜浦に新田開発の折、高波数度襲来、工事は難渋した。時に、江戸深川材木商太田屋徳三郎が之に協力、象頭山金比羅大権現に心願をこめ着工、遂に開発に成功した。是によって右新田総体の鎮守神と崇め、象頭山に登山、御分霊を受けて奉斎した。現在の横浜公園地堺町南の方に当る所の一角を宮地と定め、以来毎年3月、10月各10日を以て祭日としていた。然るに火災等のため転々と移り、慶応2年現在の尾上町2丁目に当る場所に奉安した。

明治6年相生町より出火、又々当社類焼の難に遭った為、一時伊勢山に奉安した。大正12年関東大震災に神殿悉く焼失し、昭和3年2月中区新山下町に移転された。

元来岡野の里は往時入海にて、天保の頃より陸地少しく現われ、特に保土谷惟子の里に住した岡野勘四郎が埋立を始めてより、住民次第に増え、町民も将来の発展と敬神崇祖の念をたかめ、人心の和合を期せんが為、一神社を創立する事を念願としていたが、昭和3年町民一体となりへ古くから此の町に鎮座されていた庭内私祠豊川稲荷社を町の鎮守とする事になった。

かくして昭和15年12月許可を得て新に前記の無格社金刀比羅神社と豊川稲荷社を合祀し、岡野神社と改称せられ今日に至った。(神奈川県神社誌より)


◎祭神など:

・大物主命(オオモノヌシ)

・倉稲魂命(ウカノミタマ)


◎周辺状況:

ある意味で都会のなかの典型的な神社の経年的な姿である。樹木はほとんど無く、イチョウの何本かが申し訳程度に残されている。社務所のところは駐車スペースになっており、樹木はない。今後はせめて社殿の周囲には植樹されていくべきであろう。


▼樹木配置図


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▼地図(岡野神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

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倉稲魂命

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弘化慶応天保明治大正昭和



by shasou373 | 2019-02-02 00:04 | ■ 関東地域

橘樹神社

◎神 社 名:橘樹神社(たちばなじんじゃ)

◎住  所:〒240-0003 横浜市保土ケ谷区天王町1-8-12

◎調査月日:2019(平成31)年2月2日(土)


◎由来など:

文治2年(1186)九月、源頼朝天下平定を賀し、子孫繁栄を祈願して、京都祇園社の御分霊を勧請、祭祀の典を行ったのを当社の創祀とする。故に往古は祇園社と称した。

永正7年の兵戦、文政8年の火災に旧記を焼失したが、近世に於いては牛頭天王社とも称していた。文政13年代官名主等協議し、本殿、幣殿、拝殿等を再建し、明治天皇東京遷都の際は、当境内を最も浄地と定められ、内侍所が奉安された。

明治6年村社に列格、大正5年10月神饌幣帛料供進神社に指定され、同10年には社号を橘樹神社と改めたが、同12年関東大震災の折は本殿の他悉くを倒壊した。

昭和5年9月、幣殿、拝殿、神楽殿等の復興を遂げたが、同20年4月の大空襲には再び全焼した。然し氏子崇敬者の熟誠奉仕により、同26年社殿、以後順次神楽殿、社務所を完成し現在に至っている。


[社伝]

「後向きの天王様」神体の正面に向えば、不思議な事に神像から光がさして拝む事が出来ず、強いて拝もうとすればその光に打倒されてしまう程の神様であったから、神助神罰は覿面(てきめん)であった。正面から拝めないのなら後向きに安置しようという事で、遂に類のない後向きの安置となった。それ以後は祈念する時には、宮の後方に廻って真正面から拝むつもりで詣でるという土俗が起り、古老の間に伝えられている。(「神奈川県神社誌」より)


◎祭神など:

・素盞嗚尊(スサノオノミコト)


◎周辺状況:

境内は広いが、樹木は立ち木的配置である。鳥居の近辺にスダジイの植栽とみられる列をなした配置は観られるが、クスノキ、イチョウ、、ケヤキ、スダジイなど独立した立木が目立つ。社殿の背後は駐車場になっており、ケヤキやイチョウが何本かあるが社叢としては成り立っていない。


▼樹木配置図


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▼地図(橘樹神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

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京都祇園社祇園神社)
神饌幣帛料供進神社(近代社格制度)




by shasou373 | 2019-02-02 00:03 | ■ 関東地域

神明社

◎神 社 名:神明社(しんめいしゃ)

◎住  所:〒240-0005 横浜市保土ケ谷区神戸町107

◎調査月日:2019(平成31)年2月2日(土)


◎由来など:

神明社御由緒(旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)

今から一千年以上昔、保土ケ谷の地が榛谷(はんがや)とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照皇大神が、武州御厨の庄内、榛谷の峯に影向し、それから川井、二俣川、下保土ケ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。

その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また元和5年(1619)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治二年の修営時には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治6年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。平成10年10月、鎮座1030年祭 当地遷座770年祭 伊勢神宮遷座2000年祭を記念して「平成の大造営」が行われ、380年ぶりに御本社、摂末社神楽殿等総ての境内建物12棟が一新された。平成12年4月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。(境内掲示より)


◎祭神など:

・天照皇大神


◎周辺状況:

横浜の地理的中心のあり、伊勢神宮との関係も深いので、境内は樹木も良く整備された神社である。横浜という武蔵国では南の方に位置しているので常緑広葉樹が多い。クスノキ、カシ類などである。南の斜面林も敷地になっているので樹林に囲まれた神社となっている。



▼樹木配置図


伊勢神宮関係なので、境内は整備されていて今後も整然と整えられていくであろうと思われるので特に図面化はしていない。


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▼地図(神明社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

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by shasou373 | 2019-02-02 00:02 | ■ 関東地域

星川杉山神社

◎神 社 名:星川杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)

◎住  所:〒240-0006 神奈川県横浜市保土ケ谷区星川1-19-1

◎調査月日:2019(平成31)年2月2日(土)


◎由来など:

江戸名所図会には「延喜式内社にして霊蹤尤も掲然たり、今は日蓮宗法性寺といへるより兼帯奉祀して、釈迦如来を本地仏とせり」と記している。縁起式神名帳に「都築郡杉山神社」とあり、又続日本後記に「承和五年二月庚戌、武蔵国都築郡枌山神社、預之官幣、以霊験」「同十五年五月庚辰、奉授武蔵国旡位杉山名神従五位下」等とあるのを、古来当社なりとする説もある。


[伝説]「棟木の怪談」昔当社境内の杉の木を伐り、江戸に運んで芝居小屋の棟木に使用したところ、屋鳴り震動等の怪談相次ぎ、遂に初日の幕を開くことが出来なかったという。(「神奈川県神社誌」より)


◎祭神など:

・日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)


◎周辺状況:

帷子川の南の河岸段丘の上にあり、北側が崖になっている。その斜面上にはケヤキが多数あり上層木を形成しすぐ下にスダジイが繁茂している。境内にはクスノキの大径木が多く観られ、その中の1本がご神木となっている。また、ヒノキが境内周囲や社殿背後に植樹されていて大径木となっている。駐車場には主にサクラ、イチョウが植栽されている。神職も在住されていて管理が行き届いている。

全体的には斜面林を含めて樹林に覆われているが、社叢林としては更新は崖のところの斜面林に限られてくると思われる。


▼樹木配置図

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▼地図(星川杉山神社へのアクセス)





【参考資料(リンク)wikipedia】

ヒノキクスノキサクライチョウ

ケヤキシイスダジイ

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日本武尊命

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承和年間

帷子川



by shasou373 | 2019-02-02 00:01 | ■ 関東地域

中里富士塚

◎神 社 名:中里富士塚中里富士塚(なかざとふじづか)

◎住  所:〒204-0003 東京都清瀬市中里3-991-1

◎調査月日:2019(平成31)年1月5日(土)


◎由来など:

富士山は古くから信仰対象の山とされてきていますが、特に江戸時代中期には富士登拝の風潮が盛んとなりました。しかし、実際の富士登山は経済的負担が大きく、危険が伴うことから、富士登山のできない人々のために富士塚が各地で築かれました。

中里の富士塚は、文政8年(1825年)に丸嘉講武州田無組中里講社の講徒によって、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれました。現在の富士塚は、周囲より約9mの高さです。富士塚の北側に設けられた鳥居をくぐると、登山道が九十九折りに続き、途中一合目から九合目までの小さな石柱があります。

山頂には石製小祠と大日如来を刻んだ石碑があり、登山口と登山道の途中にも様々な富士信仰に関係する碑が建てられています。また、登山道に向かって右側山麓に、現在は閉鎖されていますが横穴が掘られています。この横穴は、富士山麓の風穴と呼ばれる洞窟をくぐることによって安産の利益があるという胎内巡りを模して掘られた横穴です。今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続され、関係する武州田無組丸嘉講中里講社関係資料も含めて東京都指定有形民俗文化財に指定されています。(清瀬市HPより)


◎祭神など:

・此花咲耶姫命(コノハナサクヤビメ)


◎周辺状況:

都の文化財で、かなり良く整備されている。しかし、樹木が成長しているので富士は望めない。



▼樹木配置図

調査せず


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▼地図(中里富士塚へのアクセス)





【参考資料(リンク)wikipedia】

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by shasou373 | 2019-01-05 01:02 | ■ 関東地域

城山神社

◎神 社 名:城山神社(城山城趾)(しろやまじんじゃ)

◎住  所:〒359-0013 埼玉県所沢市城大字城357

◎調査月日:2019(平成31)年1月5日(土)


◎由来など:

当社の鎮守する城の地名は、地内に滝ノ城と呼ばれた城が築かれていたことによる。滝ノ城は八王子の城主北條氏照の麾下で、その城主は太田下野守であったが、天正18年(1590)に落城した。

当社の歴史を、口碑は「古くから祀られていた神社が、城が作られたことによりお城の神社となり、やがて落城と共に壊れ、その後十数年たって村民が再び祀った」という。

『武蔵野話』に「本城の跡に愛宕権現の祠あり、神体は立鳥帽子をかむりし馬上の石像にてたけ一尺ばかりもあり、頭大きく不調法なる細工なれども古雅なり、城主太田下野守の像なりといへり」と載せる。また『風土記稿』愛宕社の項にも「城跡の頂上本丸の跡と思しき所にあり、神体は石にて作る、馬上の像なり、本郷村東福寺持」とある。

字松井には明治初めに廃された氏照院の寺跡がある。同院は自害した領主北條氏照の菩提を家臣が弔うために建立した寺で、神仏分離までは当社を管理していたという。

明治5年(1872)に村社となり、同41年(1908)には「承暦年中創立し築城に当たり湮滅、慶長年中再建」と伝える熊野神社、広ヶ谷戸にあった旧城内鎮守天神社、北原にあった城の鬼門除けの八幡神社、村内にあった稲荷二社を合祀し、同時に愛宕神社の社名を城跡にちなんで現社号に改めた。祭神は軻遇突智命である。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・宇迦之魂命(ウカノミタマノミコト)


◎周辺状況:

柳瀬川流域の所沢台地の一角にあり、現在の神社はかっての平山城の跡に祀られた神社である。南側に川が流れており崖になっていて、本丸跡なので周囲は堀が巡らされている。

境内にはぐるりとサクラ(ソメイヨシノ)が植栽されているが、社殿向かって右側にはイヌシデの大径木がある。また、左側には夫婦樫と称し、神木であるアラカシの大径木がある。正殿真後ろにはクスノキが植栽されているし、スギなども植栽した形跡があり何本か残っている。また、神社周囲は関東の平地林の典型である「シラカシーケヤキ林」であるが、林床はこのあたりが保護されているのでカタクリなども観られる。


▼樹木配置図

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▼地図(城山神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

スギクスノキシラカシアラカシシデカエデ

サクラケヤキイヌシデアカマツ

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宇迦之魂命

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愛宕権現

滝ノ城

平山城

北條氏照

天正年間

柳瀬川



by shasou373 | 2019-01-05 00:05 | ■ 関東地域

下組八幡稲荷神社

◎神 社 名:下組八幡稲荷神社(しもぐみはちまんいなりじんじゃ)

◎住  所:〒359-0022 埼玉県所沢市本郷366

◎調査月日:2019(平成31)年1月5日(土)


◎由来など:

稲荷大明神は、平安時代末期より福徳を授かる神として信仰をあつめる最もなじみの深い神様である。当本郷下組の稲荷神社は、以前、本郷原の通称お伊勢山神明社境内に祀られていたが、明治末期に本郷中央の氷川神社と合社の際、八幡神社跡地であるこの場所に移され、今日に至っている。この間、大正の中期に社殿が荒廃したため先人が補修したが、近年、お伊勢山より移築以来数十年の歳月が過ぎ、補修もきかない状態となったため新築することになり、昭和五十年七月下旬に建設に着手し、同年九月十四日に竣工落成した。

下組稲荷神社は落成後、下組八幡稲荷神社と改名された。(埼玉県・所沢市掲示より)

◎祭神など:

・倉稲魂命(ウカノミタマ)


◎周辺状況:

柳瀬川河岸段丘の所沢台地の中腹にある神社である。集落を見下ろすように造られており、階段の途中には所沢市の保存樹木指定のクスノキ2本胸高直径70~80cmがそびえている。境内は斜面途中にあり、植栽のサクラやユズリハ、ソヨゴ、サカキなどがある。また、境内背後は武蔵野のクヌギ、コナラなどの雑木林である。社叢としてはほとんど無いが雑木林の存在が今後どうなるか配慮されることを願う。


▼樹木配置図



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▼地図(下組八幡稲荷神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

・サクラ/モミジ/ビワ/サカキ/ヒサカキ/サザンカ
・シュロ/イチョウ/クスノキ/ソヨゴ/ユズリハ
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by shasou373 | 2019-01-05 00:04 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


by shasou373