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伊豆美神社

◎神 社 名 :伊豆美神社(いずみじんじゃ)

◎住  所:〒201-0012 東京都狛江市中和泉3-21-8 (旧和泉村)

◎調査月日:2017(平成29)年5月6日(土)


◎由来など:

宇多天皇寛平元年9月20日北谷村字大塚山に六所宮として鎮座し奉る。

天文19年多摩川洪水の為地陥欠し同21年現在の境内に遷座し奉る。明治元年伊豆美神社と改称す。徳川家康幕府を江戸に開きし後此の地を領せる井伊、石ヶ谷、松下の諸家より毎年9月20日恒例として金穀若干を奉奠せられたが、明治維新の際廃藩置県の結果廃止となった。

明治16年8月郷社に列せられ、同42年9月供進神社に指定された。昭和20年大東亜戦争終結後神社制度に改革が行われ、宗教法人伊豆美神社となった。大国魂大神は慈悲の心深く福の神、縁結び、医薬の神として御神徳高く昔から一般国民が深く崇敬している。(北多摩神道青年会掲示より)


◎祭神など:

・大国魂大神(オオクニタマノオオカミ)


空間位置・面積等・植生など:

参道は長く、両側はケヤキやシラカシなどの樹林帯であったが時間の関係上詳細な記録はとれていない。再度の調査を検討したい。

社殿の背後にはクスノキの巨木が有り、シラカシ、ケヤキ、タモやムクノキ,モチノキなど社叢としては豊かである。

社殿向かって左手の裏側にはかってアカマツの巨木があったらしい説明書きがあった。また、樹種は豊かであるが,植栽によるものも多いようである。また、神職が常駐なので様々なことに手を入れてあるようだ。

近くに古墳群があり、それとの関係が歴史的にあるのかもしれない。


※狛江古墳群

狛江古墳群と総称される古墳群が存在する。昭和26年より同古墳群中最大級の亀塚古墳の発掘調査が開始された。亀塚古墳は帆立貝形前方後円墳、後円部径約31m、高さ約6m、前方部幅約14m、前方部長さ約9m、前方部の高さ約1.5m、括れ部の幅約8.2m、前方部の先開きの扇形の造出のような壇がある。亀塚古墳からは、「神人歌舞画像鏡」という中国製の鏡と、龍やキリンの図像が彫刻された金銅製毛彫金具などの副葬品が出土した。

調査を指導した国学院大学の大場磐雄は、こうした出土品から、5世紀の高句麗系古墳とした。

しかし、この学説はその後の調査により誤りであったことが明らかとなった。1987年から1988年までの間に旧第一小学校跡地(弁財天池道跡)の発掘調査によって、柄鏡形敷石住居跡などの竪穴式住居跡のほか、想定よりも古い弥生時代3世紀末の方形周溝墓と3基の古墳が検出された。一般に5世紀末以前に東国のこの地に異人が来たことは考えられず、まして古墳群を造営する可能性は皆無である。狛江古墳群の更なる研究により、豪族とそれを支える社会の存在が弥生時代以前からあったことが証明された。

関東の古墳時代中期(5世紀頃)の標式遺跡和泉遺跡の所在地としても知られる。


▼樹木配置図

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▼地図(伊豆美神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキシラカシムクノキモチノキアカマツマテバシイ

スギエノキサルスベリクロマツカエデサカキカヤ

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大国魂大神(大国主命)


by shasou373 | 2017-05-06 00:03 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


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