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熊野神社(さいたま市)

◎神 社 名 :熊野神社(くまのじんじゃ)

◎住  所:〒337-0024 埼玉県さいたま市見沼区片柳771

◎調査月日:2017(平成29)年4月1日(土)


◎由来など:

片柳熊野神社の創建年代等は不詳ながら、十二所権現社と称し、片柳村の鎮守だったという。

明治3年熊野神社と改称、明治6年村社に列格、明治40年には近隣の染谷八雲神社、大西稲荷社、染谷氷川神社、山村神社、若林氷川社(及び境内社天満社)、大西神明社、東台稲荷社、南台荒神社を合祀した。「猫のあしあと」HPより)


◎祭神など:

・家都御子神(ケツミコノカミ)

・熊野夫須美神(クマノフスミノオオカミ)

・速玉男命(ハヤタマノオノカミ)

・素戔嗚尊(スサノオノミコト)

・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)

・大山祇命(オオヤマツミノカミ)

・菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)

・天照大御神(アマテラスオオミカミ)

・火産霊神(ホムスビノカミ)

・奥津彦命(オキツヒコノミコト)

・奥津姫命(オキツヒメノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

見沼の入り江の奥の高台(大宮台地)に位置していて、階段を登り参拝する。 境内はきちんと保たれている。

階段の右手には胸高直径120㎝はあると思われる大楠があり,見沼の中を流れる芝川からも遠望できる。また、左手にはやはり同様の大椎がある。西側は奥に入るかっての入り江の地形から「斜面林」になっており、常緑広葉樹が残っているが、植林がかなり入っている。

社殿背景は樹景が薄くなっており、東側は切り開かれた後、クロマツの植林がなされていた。しかし、遠景はかなり「鎮守の森」としての体裁は守られているように見える。


▼樹木配置図

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クスノキクロマツ


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▼地図(熊野神社へのアクセス)



(地図中のYahoo Japanのロゴをクリックして頂くと、大きな地図でご覧頂けます)


【参考資料(リンク)wikipedia】

家都御子神(熊野権現参照)

速玉男命(熊野権現参照)

素戔嗚尊

倉稲魂命

大山祇命

菅原道真公

天照大御神

火産霊神


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by shasou373 | 2017-04-01 00:03 | ■ 関東地域

愛宕神社(さいたま市)

◎神 社 名 :愛宕神社(あたごじんじゃ)

◎住  所:〒337-0033 埼玉県さいたま市見沼区御蔵1167

◎調査月日:2017(平成29)年4月1日(土)


◎由来など:

創建不詳。

御蔵愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、「埼玉の神社(埼玉県神社庁)」神明神社(御蔵)項によると、太田道灌の金蔵が「蔵の敷台」と呼ばれる所に建てられ、この蔵の火防の神として蔵の前に愛宕神社を祀ったとも伝えられるという。江戸期には主として御蔵村分の鎮守として祀られていたが、江戸末期頃より神明神社(御蔵)に合祀した形となったという。

「猫のあしあと」HPより)


◎祭神など:

・天照皇大神(アマテラスオオミカミ)


空間位置・面積等・植生など:

「算額」のある神社で、以前はこんもりした森に囲まれていたが、かなり樹木が伐採されていて社殿がぽつんとある状態であった。東向きの社殿であるが、東の前面はかなりの大径木の伐採痕が何本も残っていた。氏子さんの話によると住宅が迫っていて陽当たりや落ち葉の苦情2回重なったのでかなりの費用をかけて伐採したとのこと。北側の残ったクヌギなどの高木は私有地なので伐採はしなかったとのこと。社殿の裏側(西側)にはシラカシが残されており何とか体裁を保っている状態であった。

社殿に向かって北側(右側)は昭和30年代まで神楽の舞台観覧席があった空き地であったらしく社叢はない。

現在は三室地区の先達を頼んで春のみ例大祭を簡単に取り組んでいるのが実情である。


▼樹木配置図


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シラカシクヌギ


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▼地図(愛宕神社へのアクセス)



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【参考資料(リンク)wikipedia】

天照皇大神


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by shasou373 | 2017-04-01 00:02 | ■ 関東地域

中山神社【中氷川神社】

◎神 社 名 :中山神社(中氷川神社)(なかやまじんじゃ)

◎住  所:〒337-0043 埼玉県さいたま市見沼区中川143

◎調査月日:2017(平成29)年4月1日(土)


◎由来など:

創建不詳。

大宮台地には侵食による多くの谷があり、中でも大規模なものが当社の南側を流れる芝川の谷で、この谷は大宮台地からの湧水や見沼をはじめとするたくさんの沼を抱えた沼沢地であった。

現在の社号は、明治四十年に当地中川をはじめとする片柳村の西部に位置する南中野・新右衛門新田・上山口新田・南中丸の各大字に祀られていた神社が、当社に合祀されたことにより、それまでの社号であった「氷川社」を鎮座地中川の「中」と江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを続けてきた上山口新田の「山」を合わせて中山神社と改称したものである。

しかし、現在も氏子の中では、かつての社号である氷川社当時のままに、「氷川様」と呼ぶ人が多い。

また、当社は武蔵一宮で高鼻に鎮座する氷川神社と浦和市三室(宮本)に鎮座する氷川女体神社を結ぶ線上のほぼ中間に位置することから、古くより関係の深い社として「中氷川神社」とも呼ばれていた。更に、この三社については、各社共に素盞嗚命・稲田姫命・大巳貴命の三座を主祭神に挙げながらも、それぞれ筆頭とする祭神を高鼻の氷川神社は素盞嗚命で男体社に、三室の氷川女体神社は稲田姫命で女体社に、そして、当社を大巳貴命で、先の二神の子に当たるとして簸(氷)王子社というように、この三社で『延喜式』神名帳武蔵国足立郡四座の内の名神大社氷川神社であったとする説もある。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・大巳貴命(オオナムチノミコト)

・素盞嗚命(スサノオノミコト)

・稲田姫命(イナダヒメノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

長い参道をもつ神社で東西に細長い敷地である。南側には住宅が迫り、北側は道路工事のため削られて斜面になっている。

「一帯は40年前からの区画整理のためどのくらい神社敷地が削られてしまうかは不確定。参道は西半分がなくなってしまうことはほぼ決まっている(宮司談)」。なかなか交渉が進まず困っているとのこと。

また、スギやヒノキが住宅地側にあるため倒木の不安が住民にあるようで、神社としては苦慮している。残る予定の参道も横切る第二産業道路から二の鳥居の間は道路として今も使われているため拡張する計画があり、スギヒノキの並木を伐採しなくてはならなくなるかもしれない心配もあると話していた。氏子は中川地区で現在70人である。

社叢としては埼玉の平地林の典型のようなシラカシ、ケヤキ、シデ類を主体として構成されており、そこにスギヒノキや他の樹種の植林がされている。比較的よく残されており、保存保全を進める必要があると思われる。



▼樹木配置図


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スギヒノキシラカシケヤキシデ類


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▼地図(中山神社へのアクセス)



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【参考資料(リンク)wikipedia】

大巳貴命

素盞嗚命

稲田姫命



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by shasou373 | 2017-04-01 00:01 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


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