カテゴリ:■ 関東地域( 53 )

金子厳島神社

◎神 社 名 :金子厳島神社

◎住  所:〒182-0006 調布市西つつじヶ丘1-15-8

◎調査月日:2017平成29)年12月2日(土)


◎由来など:

旧くは「弁財天稲荷合社」といわれた。お社の創建年代は不詳だが(推古の頃との説もある)社前に清澄な水をたたえる池があり、昔、居住者が農耕や生活に不可欠の水に感謝の念を込めて池のほとりに建て、弁財天を祀ったのが創始ではないかと思われる。いつの頃「厳島神社」と変わったのかについての資料は見当たらないが、他社の例をみると明治初年の神仏分離に関わりがあるのではないかと思われる。(境内掲示より)


◎祭神など:

市杵志麻比咩命(イチキシマヒメ)


◎空間位置・面積等・植生など:

南向きの傾斜地だがマンション群の谷間にある。境内は比較的広い。良く整備されている。樹相はシラカシ、アラカシ等カシ類やクロマツ,アカマツ等の大径木が多いが、幼樹はほとんどなく自然更新は難しいと思われる。アカマツ等の切り株も残っている。立木のみで樹林を構成しているとはいえないのではなかろうか。


 ▼樹木配置図

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▼地図(金子厳島神社へのアクセス)



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by shasou373 | 2017-12-02 00:01 | ■ 関東地域

本町八幡神社

◎神 社 名 :本町八幡神社

◎住  所:〒185-0012 国分寺市本町4-22-15

◎調査月日:2017平成29)年10月8日(日)


◎由来など:

本町八幡神社は、西武鉄道多摩湖線西際に配される神社で、線路際の市道に東面して参道を開き、突き当たりに旧本殿、拝殿跡、境内北辺に仮本殿、穀豊稲荷神社、御輿庫、子育弁天社、南辺は本町三・四児童公園として遊具等が整備されている。

この神社の来歴は昭和8(1933)年頃、現在地から200メートル程東方の本町三丁目に西元町の八幡神社を分祀したことに始まり、昭和261951)年になって現在地へ移転された。また、穀豊稲荷社は昭和231948)年、今村邸から寄贈を受けたものとされ、子育弁財天社は昭和481973)年、西武自動車車庫付近にあった和地邸宅にあった弁財天の寄贈を受けたものとされている。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)

昭和261951)年3月28日、規承第一四八号により神社本庁統理の承認を受け、国分寺市国分寺一六二四番地鎮座八幡神社の祭神八幡神社の祭神分祀を得鎮祭した。(北多摩神社誌より)


◎祭神など:

応神天皇


◎空間位置・面積等・植生など:

境内は広いが、社殿の周りには樹木があまりない。しかし、瑞垣に沿って大径木の樹木が多い。イチョウ、ソメイヨシノ、ケヤキなどを主体としているが戦後の移転とともに植栽されたと思われる。シラカシは自然植生かもしれない。また、若木や幼樹は、境内の清掃が過度にされているので全くないのが気にかかる。


 ▼樹木配置図

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▼地図(本町八幡神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキカヤイチョウサクラスダジイ

シラカシサカキソメイヨシノ

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応神天皇


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by shasou373 | 2017-10-08 00:01 | ■ 関東地域

萩日吉神社

◎神 社 名 :日吉神社

◎住  所:〒355-0364 埼玉県比企郡ときがわ町西平1198

◎調査月日:2017平成29)年9月2日(土)


◎由来など:

祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト)をはじめ七柱である。欽明天皇6年(6世紀半ば)、蘇我稲目宿禰(ソガノイナメノスクネ)によって萩明神として創建と伝えられる。平安時代、天台宗別院となった慈光寺鎮護のため比叡山から日吉大神を勧請合祀し、萩日吉山王宮とした。

また、この頃蟇目の神事で鏑矢を放つようになった。 鎌倉幕府関係の庇護を受けていたが江戸時代は山王社、明治には神仏分離により現行の名称になった。明治40年には付近の神社ヶ所を合祀した。

神木児持ち杉は源頼朝の植樹とも言い、子が授かるという信仰 がある。また神職を預かる松岡家は地域の子供の育成にも力を注いだ。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・大山咋命(オオヤマクイノミコト)他


◎空間位置・面積等・植生など:

集落の南の山裾に位置しており、北側に展開する集落を見下ろすようになっている。本殿は山の中腹にあり、2段階の階段を上らないとたどり着けない。主要な構造物は本殿近辺に集中しており、参道は傾斜がきつい。

神木の「児持杉」は雄杉雌杉とあり、あいだに祠を祀る。現在は最初の鳥居の脇にあり、裏手すぐの所を車道が通っているため勢いが見られない。急な参道の両脇にはシラカシ、アカガシ、モミなどの大径木が多く、その上、杉の巨木が並んでいる。本殿の側には杉のご神木があり、本殿を守るように屹立している。駐車場にはツクバネガシがあり、本殿裏手の山地にはアラカシやアカガシ、モミなどの混交林がある。

ここの樹木の生育状況はよいが、裏手の山地の照葉樹林はヒノキなどの植林に押されて森林を保てる状態ではない。本来植生を維持できる面積を確保する必要がある。アカガシの巨木には保存手当がしてあるが、社叢として守るならば植林のエリアなどと分けていくべきだろう。また、神木の「児持杉」も要注意である。地上部の処置より根系部の保護を優先すべきである。踏圧を防ぐための木道設置や、クローネの発達を促すための周辺木の間伐や枝打ちを行うべきであろう。


          ▼樹木配置図

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▼地図(萩日吉神社へのアクセス)


【参考資料(リンク)wikipedia】

アラカシモミスギシラカシ

ヒノキツクバネガシアカガシ

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大山咋命

蘇我稲目宿禰


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by shasou373 | 2017-09-02 00:02 | ■ 関東地域

越沢稲荷社及び浅間神社

◎神 社 名 :越沢稲荷社及び浅間神社

◎住  所:〒355-0365 埼玉県比企郡ときがわ町日向根(椚平)

◎調査月日:2017(平成29)年9月2日(土)


◎由来など:

越沢稲荷社・椚平向尾根にある「稲荷神社」の末社のようである。埼玉神社庁発行の「埼玉の神社」によると《越沢稲荷の祭典は、11月23日である。この稲荷様は,失せ物を見つけてくれるので知られ、地内は元より吾野、大野、西平といった近在にまで信仰が広い。物品ばかりか動植物までお願いすると必ず見つけてくれるので、お礼の油揚や魚、お白狐の奉納が絶えない》とある。

また本社の「稲荷神社」は1381(永徳3)年に山城国伏見稲荷大明神の分霊を祀ったのが創建と伝えられる。


浅間神社に関しては詳細は不明であるので、ときがわ町に問い合わせたところ「昭和40年代に「講」解散し、その後も復興の目途は立たず、現在のような状況に至っているようです。決して合祀されたわけではありません」との回答を得ているところである。


◎祭神など:

・越沢稲荷社:宇迦之御魂神(倉稲魂命)(うかのみたまのかみ)等

・浅間神社: 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみのと)


◎空間位置・面積等・植生など:

越沢稲荷社:南向きの山の斜面に有り、南は果樹畑になっていて、背後はスギ等の植林が主である。特徴は「越沢の大スギ」であろう。解説板には、同じときがわ町の《西平にある萩日吉神社の「子児持杉」に次ぐ大きさで、地面に着くほど垂れ下がった枝に特徴がある。越沢稲荷のご神木として親しまれている。幹周り6.05m(2002年計測)》とある。

浅間神社:同じ南斜面の越沢稲荷社のすぐ南東下にあるが、社殿が荒れていて放置されていた。急傾斜の石段は残っており、一面のスギ・ヒノキの植林地帯の中であるが社殿周囲には大径木のヤマザクラやシラカシなどが生育している


          ▼樹木配置図

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▼地図(越沢稲荷社及び浅間神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

スギクヌギモミジ(カエデ属)/カキノキモモ

ヒノキサクラシラカシクマザサ

イロハモミジマダケ

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宇迦之御魂神(倉稲魂命)

木花咲耶姫命


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by shasou373 | 2017-09-02 00:01 | ■ 関東地域

冨士浅間神社

◎神 社 名 :冨士浅間神社(ふじぜんげんじんじゃ)

◎住  所:〒357-0055 飯能市上直竹下分300-1

◎調査月日:2017(平成29)年8月5日(土)


◎由来など:

富士山と称する山の山麓にあり、山頂に奥社を祀ってある。「明細帳」によると創立年紀は不明であるが、室町期と思われる。主祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)で、明治以前は富士浅間大菩薩といって修験道に関係している。明治40年には付近の神社7ヶ所を合祀した。

祭祀行事は元旦祭、春祭り(疫攘祭)、7月1日は山開き(神木のタブノキの注連縄が張り替えられる)、7月27日の大祭(麦刈りが終わった時期に行われる。かっては数日間奥社祭があった。また、60年に一度庚申の年は「御縁年」といわれて盛大に行われる)、11月23日の秋祭りである。

安産の神として古くから信仰され、浅間様の氏子はお産が軽いと言われている。また、境内にある風神社は精神病や喘息を治すと言われている。また、雨乞いも行われていた。(「埼玉の神社」より)


◎祭神など:

・木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト


◎空間位置・面積等・植生など:

飯能市街地からは遠く離れた山間にあり、本殿は中腹にあり、向かって左側には「芙蓉の滝」右側には妙見様がまつられている。拝殿の後ろの本殿は斜面に埋もれるようにしてあり、大きなシラカシが覆っている。本殿と向かい合って神楽殿があり、広場となっている。奥宮は本殿背後から山道の参道をしばらく登ると山頂にある。

拝殿本殿前の苑には大直径のイチョウとケヤキがあるが、周辺はモミ、シラカシ、タブノキを主体とした林相である。奥宮への小尾根の参道には、周囲のスギやヒノキの植林が進んだ若齢林に押されながらも大径のウラジロガシ、シラカシ、タブノキが点々と続いている。特に暖帯性のウラジロガシの存在は貴重である。


          ▼樹木配置図

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神木のタブノキ


▼地図(冨士浅間神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ウラジロガシスギヒノキシラカシ

タブノキモミモミジ(カエデ属)/サカキ

ケヤキムクロジ

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木花開耶姫命

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明細帳(神社明細帳)


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by shasou373 | 2017-08-05 00:01 | ■ 関東地域

松陰神社

◎神 社 名 :松陰神社(旧府社)(しょういんじんじゃ)

◎住  所:〒154-0023 東京都世田谷区若林4-35-1

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

明治新政府樹立に活躍した中心人物を数多く育てた吉田松陰を祭神とし、俗称大夫山にあり。境内には社殿、神楽殿、松下村塾(模型)、社務所などがあり、墓所には吉田松陰をはじめ、頼三樹三郎、来原良蔵などの墓がある。

安政の大獄は彼の如き影響力の大きな人材を見逃がすはずはなく、1859(安政6)年10月27日伝馬町の獄舎で遂に打首となり、越えて1863(文久3)年正月、彼の遺体は門弟高杉晋作などによって頼三樹三郎、来原良蔵などと共に、現在の地に移葬された。18828(明治15)年には、彼の旧藩士門弟らが中心となって墓の東側にささやかな堂を建て、降って1908(明治41)年、木戸、伊藤、山県、桂、乃木などの門弟たちが、松陰50年祭を営み、石の鳥居と石灯ろう26基を寄進した。

昭和の初め、社殿は大修理され、南面に改められ府社に昇格した。1942(昭和17)年には、松下村塾の模型が境内に建てられ、大いに忠君愛国の思想を鼓吹して当時の風潮に投じたが、終戦後は一般神社のたどったと同じ運命に陥り、保存維持に関係者を悩ましているが、1958(昭和33)年10月には180年祭がおこなわれた。尚、近くに陸軍大将桂太郎と明治の元勲廣沢真臣の基がある。

(『せたがや社寺と史跡』参照)


◎祭神など:

・吉田松陰


◎空間位置・面積等・植生など:

きちんと管理されている神社で、我々が調査するまでもないが社叢という概念ではとらえられない樹木の配置である。

「吉田松陰」という人物を奉る神社なので神観念が異なると思われるので、ここの「社叢」を一概に論じることはできないと思われる。


▼樹木配置図


※十分管理下にあるので平面図と社叢は記録なしとした


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▼地図(松陰神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】

吉田松陰

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松下村塾大夫山(若林・世田谷区)頼三樹三郎来原良蔵廣沢真臣

高杉晋作木戸孝正伊藤博文山縣有朋桂 太郎乃木希典

安政の大獄


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by shasou373 | 2017-06-03 00:06 | ■ 関東地域

若林北野神社(天満宮)

◎神 社 名 :若林北野神社(わかばやしきたのじんじゃ)

◎住  所:〒154-0023 東京都世田谷区若林3-34-16

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

武蔵国深大寺の住僧長弁花光坊の「私案抄」には、1401(応永8)年に、ここで連歌法楽を興行したことが見え、当時ご神体は石で、石天神と称せられていたという。

江戸時代は牛に乗った天神が御祭神で牛天神といわれ、境内に井戸があり、白蛇が棲んでいると伝えられた。

虫歯の病気に霊験あらたかで、虫歯をやんだ時は天神に祈り、神殿の格子戸にさげた房楊子を借りて治療し、治ったならば新らしい房楊子をあげる習慣があったという。(『せたがや社寺と史跡』より)


◎祭神など:

菅原道真


◎空間位置・面積等・植生など:

天満宮なので社殿の周囲にウメが植栽されている。しかし、社叢とはいえないくらいの貧弱さだ。かって「マツ」の大径木があったようだが伐採されて樹幹が境内に放置されている。氏子組織がどうなっているのか聞き取りはできなかったが、あまり手は加えられてはいないようだ。



▼樹木配置図


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▼地図(若林北野神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ウメマツサカキ

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菅原道真

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深大寺

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【参考文献】

私案抄(国会図書館)


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by shasou373 | 2017-06-03 00:05 | ■ 関東地域

福寿稲荷神社

◎神 社 名 :福寿稲荷神社(ふくじゅいなりじんじゃ)

◎住  所:〒154-0024 東京都世田谷区若林2-18-1

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

若林稲荷神社(若林)ともいい、当神社の由緒によれば「当社ヲ福寿稲荷ト云、三反五畝ノ除地ハ明和六年四月地頭ヨリ寄附セリ、神体長サ五寸許、三衣ヲ着シ白狐二跨レリ、彩色ヲ施シ彫工イト巧ミナリ、祭礼九月廿二日、神楽ヲ奏セリ」とある。

1884(明治17)年ころは樹木うっ蒼とし、大木に囲まれた神社であったが、1945(昭和20)年に戦災にあい、現在では銀杏その他十教本の樹木があるのみである。なお神社には「正一位福寿稲荷大明神」と記した縦1.5m、横0.6mほどの古い額があったが、戦災で焼失してしまったという。(『せたがや社寺と史跡』より)


・祭礼は9月7日


◎祭神など:

・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

他の神社のように台地上にある。社殿は立派ではあるが樹木は立木を主体としてであり、社叢としては体をなしていない。ケヤキやクスノキなどがあるが都会の神社の宿命か樹高や枝などはとめられている。


▼樹木配置図

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ケヤキクスノキ


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▼地図(福寿稲荷神社へのアクセス)




【参考資料(リンク)wikipedia】
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by shasou373 | 2017-06-03 00:04 | ■ 関東地域

太子堂八幡神社

◎神 社 名 :太子堂八幡神社

◎住  所:〒154-0004 東京都世田谷区太子堂5-23-5

◎調査月日:2017(平成29)年6月3日(土)


◎由来など:

太子堂八幡神社の創建年代は不詳だが、太子堂が草庵として創建された頃(年代不詳)、或いは太子堂村が興左衛門により新田開墾された天正年間(1573-1591)頃、創建したと推定される。


◎祭神など:

・誉田別命(ホンムタワケノミコト)


空間位置・面積等・植生など:

台地の斜面に建立されており、禁足地もあり、今後更新可能な社叢である。禁足地の中にはケヤキやクスノキシイ類などの大径木もあり、異樹齢の樹種もあるようだ。

境内にはシラカシ、アカガシ、スダジイなどの常緑広葉樹にケヤキやムクノキ、エノキなどの落葉樹もあり、このあたりの植生を示している。最下位段は公園になっており、上記の樹種以外にスギなどの植林がなされているが境内とは斜面と瑞垣で区別されており、他に見られるような社叢地がが公園と化しているようなことにはならないようだ。

神木は社殿脇のクスノキの巨木である。また、世田谷区の「保護樹林地」に指定されているし、神職も「鎮守の森」維持に力を入れているようだ。


▼樹木配置図

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▼地図(太子堂八幡神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】


・シラカシ
アカガシスダジイケヤキムクノキ

エノキクスノキシイカヤマテバシイクロマツ

ヒマラヤスギサクラミズキカヤ

--

誉田別命(応神天皇)



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by shasou373 | 2017-06-03 00:03 | ■ 関東地域

三宿神社

◎神 社 名 :三宿神社(みしゅくじんじゃ)

◎住  所:〒154-0005 東京都世田谷区三宿2-27-6

◎調査月日:2017(成29)年6月3日(土)


◎由来など:

祭神は倉稲魂命をまつった稲荷社であるが、毘沙門天(木像1尺位)も祀られているので一名毘沙門様とも称せられている。昔、多聞寺(現在廃寺)の境内にあった毘沙門堂の本堂をうつしたものと伝えられ、現在の社殿は1967(昭和42)年の建築である。三宿の氏神で例祭は9月23日であるが、奉納される神楽のうちに、たぬきはやしがあるが、これは養老の滝の物語の孝子がたぬきを助けたという伝説にちなんだものだといわれている。(『せたがや社寺と史跡』参照)


・例祭/9月23日


◎祭神など:

・倉稲魂命(ウカノミタマ)

・毘沙門天(ビシャモンテン)


空間位置・面積等・植生など:台地の斜面を3、4段にして整地して建立されており、背後には公園の樹林があるので遠目から社叢とわかる。比較的大径木が多く、ケヤキ、シラカシ、シデ類シイ類など自然樹種と思われるものも多いが、カヤなどは直線上に並んでいるのでいるのでイチョウとともに植栽と思われる。

樹相は豊かで世田谷区の「保存樹林地」に指定されているが禁足地はなく、更新は難しいと思われる。


▼樹木配置図


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▼地図(三宿神社へのアクセス)



【参考資料(リンク)wikipedia】

ケヤキシラカシシデシイカヤイチョウ

ヒマラヤスギケヤキスダジイイヌシデ

ウメモミジスギ

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倉稲魂命

毘沙門天



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by shasou373 | 2017-06-03 00:02 | ■ 関東地域

「社叢見守り隊」の調査報告を掲載しております。


by shasou373